佐藤優『創価学会と平和主義』(朝日新書)を読んでみた。
著者は、この本は創価学会の会員以外の一般の人に読んでもらいたいと書いている。
しかし、その内容からすると、創価学会の会員向けの本であることは間違いない。
というのも、そこに書かれていることは、世間で考えられているのとは大きく異なるからである。
佐藤氏は、安倍政権が憲法解釈を変更し、集団的自衛権を認める方向に乗り出したにもかかわらず、創価学会が支持する公明党が、それを阻止した、それゆえに創価学会の唱える平和主義が本物であると主張している。
総選挙になれば、創価学会の会員は、公明党の候補者への投票を依頼するために活動を展開する。創価学会では、会員にはなっていないけれども、公明党に投票してくれる人間の票を「フレンド票」と呼び、その獲得をめざしてきた。
今回の総選挙に際しては、フレンド票獲得をめざして、一般の有権者のところを訪れた創価学会の会員は、なぜ平和主義を掲げる公明党が、安倍政権に屈し、集団的自衛権を認めたのかと詰め寄られる可能性がある。
実は公明党は、閣議決定がなされたときに、その決定は集団的自衛権を認めたものではない。十分に歯止めはかかっていると主張していた。しかし、その主張は、それほど目立った形では報道されなかった。一般の人たちは、公明党は年来の平和主義を捨て、政権に迎合したと思っている。
創価学会の会員が、公明党の変質を問題にされたとき、それに対してどのように反論するかはかなり難しい事柄である。学会の組織のなかで、選挙対策として啓蒙活動も行われているが、ことが安全保障の問題に関係するだけに、その説明は難しい。
その際に、佐藤氏の著作は、会員が理論武装をするのに大いに役立つ内容になっている。もちろん、佐藤氏は創価学会の会員ではなく、よく知られているようにキリスト教の信者である。同志社大学では、キリスト教神学も学び、それに関連する著作もある。佐藤氏が、創価学会の会員の選挙活動のために、この本を書かなければならない義理はないはずである。
それに、この本が執筆されている最中に、近々総選挙があるということは、著者にもわかっていなかったはずだ。ところが、本は絶妙のタイミングで出たかっこうになった。
それも不思議なことだが、なぜキリスト者であるはずの佐藤氏は、かつてはキリスト教を激しく攻撃した創価学会の会員にしか役に立たない本を書いたのだろうか。読者としては、どうしてもその点が気になってくる。
著者は、この本のなかで、創価学会の平和主義が本物であることの論証を試みている。だからこそ、公明党が集団的自衛権の容認に決定的な歯止めをかけることができたというのである。
たしかに、創価学会は平和主義を掲げ、公明党は平和の党であることを標榜してきた。しかし、それはあくまで当事者の主張であり、それがそのまま真実であるかどうかは別の問題である。
では、佐藤氏の論証は、創価学会が真の平和主義を守り通していることを証明しているのだろうか。
佐藤氏の議論で一番問題なのは、論証を行う際の資料の選び方である。佐藤氏は、創価学会や公明党が発表した公的な資料だけを用いている。他に、外部の人間による資料は用いていない。
佐藤氏は、海外諸国の外交戦略を分析する際にも、それぞれの政府が公表している資料を大幅に用いており、分析にはそれで十分なのだと述べている。著書からその部分を引用してみよう。
「私は外交官時代から、交渉相手のことを知ろうとするときには、まず、新聞や相手方の刊行物など公開情報にあたることにしている。
公開情報のメッセージに込められた情報量は多い。それを取捨選択し、照らし合わせることで情報分析の八〇%はカバーできる」
この方法論は、とても納得できるものではない。
簡単に言ってしまえば、創価学会が自分たちは真の平和主義の立場にたっていると主張しているので、創価学会の平和主義は本物であると判断してしまうようなものである。これでは、創価学会の会員を除けば、誰も納得できない。
しかし、佐藤氏は、まさに創価学会の公開している情報をもとに議論を進めている。創価学会のホームページからの引用を多いし、名誉会長である池田大作氏が著者になっている小説『人間革命』に描かれたことを、そのまま歴史的な事実として受けとっている。
佐藤氏が『人間革命』のどの版を資料として用いているかはわからないが、現在出ているものは、かつて広く読まれた版の内容に対して、とくに重要な部分にかんして手を加えたものである。
佐藤氏がこうした方法論をとっている背景には、神学を学んだことが強く影響しているのではないだろうか。
神学の場合には、それぞれの宗教で主張されている教義を真実のものとしてとらえ、それを前提に議論を進めていく。
そこが、私が専門としている宗教学とは決定的に異なる。宗教学者が教団の主張を分析していく際には、教団の公開情報だけには頼られない。とくには、教団を批判しているような人物の主張にも目を通し、場合によってはそれを活用する。
佐藤氏は、神学の方法をそのまま創価学会、公明党の分析に用いているように見える。したがって、『創価学会と平和主義』は、「創価学会・公明党神学」の書物になっているわけである。
しかも、松岡幹夫氏の著作『平和をつくる宗教―日蓮仏法と創価学会』という著作にふれる際に、松岡氏のことを「宗教学者」と紹介している。これだと松岡氏は、客観的、中立的な立場から創価学会を研究している人物だという印象を受ける。
だが、松岡氏は、かつて創価学会が密接な関係をもっていた日蓮正宗の僧侶で、僧侶を止めた後は、日蓮正宗批判を展開し、創価学会と立場を同じくしている。佐藤氏はそのことにはまったくふれていない。
注目されるのは、佐藤氏が、創価学会、公明党の今後のあり方について、提言を行っていることである。
佐藤氏は、現在の創価学会と公明党が過剰なほど政教分離を推し進めているととらえ、むしろ、公明党には宗教色を明確に打ち出すことを求めている。「公明党には、自分たちが日蓮仏法の流れを引く創価学会の価値観を基盤にした政党だと宣言する選択肢があるはずだ」というのだ。
これは、佐藤氏が一言もふれていない創価学会、公明党による「言論出版妨害事件」以降とってきた方針を180度転換させるものになる。
また、仏教学部を設けていない創価大学についても、それを「設置して専従の教学エリートを養成し、継続的な研究ができる態勢を整備することが急務になってくると私は見ている」と述べている。
佐藤氏は、創価学会員の選挙活動に役に立つ書物を書いた上で、創価学会、公明党に一定の影響力を行使しようとしているように見える。
その可能性は今のところ高くはないが、もし創価学会、公明党が佐藤氏の提言を受け入れたとしたら、佐藤氏の社会的な立場も大きく変わっていく可能性がある。
あるいは、佐藤氏の本当の目的はそこにあるのかもしれない。
島田 裕巳
宗教学者、作家、東京女子大学非常勤講師、NPO法人「葬送の自由をすすめる会」会長。元日本女子大学教授。
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