松下幸之助流「諸行無常」

2015年03月06日 18:25

松下幸之助さんは御著書『人間としての成功』の中で、「その昔、お釈迦さまは、“諸行無常”ということを説かれました。この教えは、一般には“世ははかないものだ”という意に解釈されているようです。そこには深い意味はあるとは思いますが、(中略)私はそのように解釈するよりもむしろ、“諸行”とは“万物”ということであり、“無常”とは“流転”というようにも考えられますから、諸行無常とは、すなわち万物流転であり、生成発展ということであると解釈したらどうかと思うのです。いいかえますとお釈迦さまは、日に新たでなければならないぞ、ということを教えられたのだということです」と述べられています。


お釈迦様が如何なる意図で以て此の諸行無常を言われたのか、之は中々難しい問題であります。先ず仏教の考え方としてはその基本に輪廻思想があり、ある意味で「生生流転…すべての物は絶えず生まれては変化し、移り変わっていくこと」と言えなくもありません。万物宇宙の法則とは正にそういうことではあるわけで、虚無的な諸行無常の解釈でなしに松下さん流の考え方で仏教的には、常に生生流転といった中で捉える方が正しいのかもしれません。あるいは中国古典流に言えば、「苟(まこと)に日に新たに、日々に新たにして又日に新たなり」という言葉が『大学』にあります。此の「日新」というのは、退歩ではなく進歩して行く方向でなくてはならないということです。東洋的な虚無感・一つの儚さといったものもまた考え方としてはありますから、世は儚いと諸行無常を捉えるよりも日新とする方が良いということかもしれません。

『平家物語』の冒頭部分、「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす」は、余りにも有名です。当該軍記物語あるいは鎌倉前期の随筆『方丈記』は、仏教的無常観を基調に描かれたものであります。世は儚いとするような此の考え方というのはあの時代、戦争や飢饉等で沢山の人が死んで行く中、特に日本にあって生まれた思想と言えなくもないかもしれません。但し、之は栄枯盛衰に関する一時代の儚さを言っているものであります。即ち「満つれば欠くる世の習い」という考え方で、一つの王朝等が延々と続くわけではないということです。あるいは、あるトップの交代時期に「天授け、人与う」というで皇帝が生まれなければ、「王侯(おうこう)将相(しょうしょう)寧(いずく)んぞ種(しゅ)あらんや…王侯や将軍・宰相となるのは、家柄や血統によらず、自分自身の才能や努力による」、と所謂「易姓革命」となるわけです。

先に仏教的および中国古典的に諸行無常の解釈を述べましたが、中国古典思想では更に宇宙に存在するあらゆる物の構造は「陰」と「陽」の二つの要素から成ると考え、陰と陽をバランスさせることで全体(極)がバランスすると考えます(一極二元の法則)。陽は造化(ぞうか:天地とその間に存在する万物をつくり出し育てている者)のエネルギーの一つであり活動・表現・分化・発展を齎すもの、陰のエネルギーというのは順静・潜蔵・統一・調節の作用をするものです。つまり此の互性が上手く働く中で初めて、ヘーゲル流に正反合の世界で進化・発展し得るわけです。以上より、全体的に人間の生き方ということで述べるならば、幸之助さんによる諸行無常の御説で正しいのだろうと思います。

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