「わたしは憐れむことには飽きた」 --- 長谷川 良

2015年05月04日 17:10

神は異教の偶像崇拝に陥るユダヤ民族の姿を見て嘆き、多くの預言者を送り、警告を発してきたが、ユダヤ民族は悔い改めない。神は預言者エレミヤを通じて、「私は憐れむことには飽きた」(エレミヤ書第15章6節)と呟いている。


ゴールデンウィークのこの期間、世界に大きな影響力を有するユダヤ教について、読者と共に考えたい。

ユダヤ民族の歴史は波乱万丈だ。唯一神教のユダヤ教が今日にみられるような宗教として成立したのはエジプト捕虜時代やサウル、ダビデ、ソロモンの3王朝時代ではなく、ユダヤ民族のバビロン捕囚期間とその後だ。考古学者、聖書学者らの研究の結果、明らかになっている。ペルシャの王クロスによってバビロン捕囚から解放されたユダヤ人たちはエルサレムに帰還し、現在ユダヤ教といわれている宗教の基礎を築いていったのだ。

考古学者は聖書の世界を様々な角度から調査し、新しい事実をもたらしている。例えば、考古学者の間でイスラエル人が誇るダビデが実存した人物か、その王朝はどの程度か…などで論争があったが、ダビデが実存した指導者で、その王朝は、「現在のエルサレムを網羅する大きな統一王朝だった」ことがエジプトで発見された古文書で証明されている。考古学者や聖書学者の中にはダビデも架空の人物と主張する学者もいたが、その古文書には「ダビデの家」という文字がはっきりと記述されていたのだ。

ヤコブから始まったイスラエル民族はエジプトで約400年後暮らした後、モーセに率いられ出エジプトし、カナンに入り、士師たちの時代を経て、サウル、ダビデ、ソロモンの3王時代で王朝時代を享受するが、異教徒の影響を受け、信仰を失っていく。神の教えに従わなかったユダヤ民族は南北朝に分裂し、北イスラエルは紀元前721年、アッシリア帝国の捕虜となり、南ユダ王国のユダヤ人たちはバビロニアの王ネブカデネザルの捕虜となったが、バビロニアがペルシャとの戦いに敗北した結果、ペルシャ王クロスの支配下に入った。

エルサレムの神殿の崩壊を目撃したユダヤ人たちは当時、「ヤハウェの神殿が破壊されるとは…」と絶望的になり、「ヤハウェよ、あなたはどうしてエルサレムを滅ぼすことを許されたのか」といったヤハウェへの不信が芽生えていったという。

ユダヤ民族はバビロン捕囚期間、苦労を重ねる一方、ヤハウェを再発見し、その教えを写し、神殿ではなく、ヤハウェの教えを家庭で順守していくユダヤ教の信仰が次第に確立されていった。

クロス王は紀元前538年、夢の中で神のお告げを受け、ユダヤ民族を解放し、エルサレムに帰還させた。なぜ、ペルシャ王は当時捕虜だったユダヤ人を解放したかについて、旧約聖書のエズラ記には、「ペルシャ王クロスの元年に、主はさきにエレミヤの口によって伝えられた主の言葉を成就するため、ペルシャ王クロスの心を感動させたので、王は全国に布告を発し……」と記されているだけだ。

考古学者の研究で聖書の世界が次第に判明してきた。ユダヤ教の成立のプロセスは非常にドラマチックだ。神殿を失ったユダヤ人の嘆き、捕囚時代の歩み後、神のみ言葉を中心とした信仰生活が確立し、救い主イエスを迎える準備期間に入っていくわけだ。

ちなみに、イスラエルを滅ぼすことを宣告した神は、エレミヤを通して、「将来彼らは私を、“エジプトから導き出したた主”と言わず、“バビロンなどの捕囚から解放した主”という日が来る。私が彼らをエルサレムに導きかえすからである」と語っている。この聖句は、選民ユダヤ民族に対して、神の変わらない愛と導きが注がれていたことを示している。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年5月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。


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