初めての授業は放送大学でした。十年ほど前のことです。学生はいません。目の前にはカメラがあるだけ。講義はテレビで見る。バーチャルに、全国の受講生が見てくれる。ただ、授業の手応えは今ひとつでした。
今の職場に来て、リアルな授業を受け持つことになりました。目の前に学生がたくさんいます。だが、メディア系の大学院の学生というのは、全員がパソコンを開いてネットを使いながら聞いています。
教師が間違ったことをしゃべったら炎上させてやろうとばかり、カタカタと検索しています。しゃべりもせず、クラスメイトとLINEやツイッターで盛り上がっています。体は教室にいても、頭はどこかバーチャルな場所に出かけているのです。
ならば講義はテレビやネットで見ておいてもらって、教室ではマンデルさんのようにリアルに議論するほうが手応えがあります。
「反転授業」が教育界の注目を集めています。
ネットやビデオの講義を生徒が家で見ておいて、学校ではそれに基づいて議論する。学校で教わって家で復習するという、これまでの教育法を反転させるのでそう呼ぶのです。
この米国生まれの手法が広がりつつあり、日本でも導入する小学校が現れています。将来、多くの授業がそうなると見る専門家もいます。
大学の授業も変わります。
「MOOC」という無料のネット講義が話題です。マサチューセッツ工科大学やスタンフォード大学など米国の有力教授陣が講義を配信し、日本でも東大、京大などが参加しています。
私も参加しています。「ポップパワー」というコースを日本版MOOCで開講しました。これも講義するだけじゃ手応えがありません。だから「作る」コースにしました。受講生は映像を見て、ITサービスやビジネスなどのプランを作り、それを実現するよう私も動く、という授業です。
それにしても、デジタルなら世界の授業がタダで受けられるというのは、並々ならぬことではありませんか。
政治学をハーバードのA教授から学び、西洋史をオックスフォードのB教授、中国史を北京大学のC教授から受けたという修了リストのほうが、東大の卒業証より値打ちがある、なんてこともすぐに現実のものになりそうです。
となると、大学の役割も問われます。
入学し、卒業することの意味が再考されます。
授業やってりゃいいってなもんじゃなくなる。自分のクビも危ないぞ。
ううむ、デジタルは、大学教授の敵なのかな。
編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2015年6月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。