産業拠点が会社・工場から「家庭」に --- 長谷川 良

アルプスの小国オーストリアでは16歳で選挙権がある。すなわち、16歳になれば、一人前の大人と見なされるわけだ。14歳になれば早い子供は技術教育を受けて職人の道に入る。ギムナジウムに通い将来大学に進学する数は最近、増えてきているが、その割合は日本と比べれば少ない。(「『16歳の選挙権』を問う」2007年5月18日参考)。

要するに、オーストリアを含む欧州では早い段階で乳離れをして、家庭から出ていく子供たちが多い。もちろん、イタリアなど少数の国では30歳になっても両親のうちに留まり続ける者も少なくないが、経済的理由もある。

家庭から出ていくということは、親の庇護から離れることを意味する。親も出ていく子供を引き留めることは基本的にしない。クリスマスや記念日などには家に集まる。特に、クリスマスは全ての家族が親の家に戻ってくる時だ。

就職すると、会社や工場に通う。そこは家庭とは全く違ったルールと目的のもとに機能している。工場では生産の為に歯車のように働く者もいる。会社では上司の指令の元に多くの書類を整理したりする。家庭をもった者は朝、食事を済ますと会社や工場に出かける。生産場所が会社であり、工場だからだ。この産業構造は久しく続いてきたが、コンピューターが発達し、家でも仕事ができるようになってきた。すなわち、職場が会社や工場から再び家庭に戻りつつある。特定の産業分野ではそれは既に現実化している。

米未来学者アルビン・トフラー(Alvin Toffler)は、「新しい生産方式は、工場やオフィスに集中した何百万という職場を再びそれ以外の場所へ戻そうとしているのである。つまり家庭が仕事の場になるのだ」と言っている。トフラーが主張する第3の波の「脱産業社会」の到来だ。彼は「生産消費者」なる造語を作り出している。

子供は大きくなり、「家庭」から出て行き、結婚して新たに「家庭」をつくり、社会の産業拠点である会社や工場に通う。しかし、近い将来、人々は会社や工場に通わず、「家庭」が職場となり、生産活動に参加する。もちろん、職種によっては「家庭」が直接、生産拠点とはならないが、時間の経過と共に、その方向に発展していくのは間違いないというわけだ。

まとめる。「家庭」が成長拠点だけに留まらず、情報革命にとって生産拠点となっていくという未来像だ。トフラーの考えはとても啓蒙的だ。単なる生産拠点の変動ではなく、 人生の生活サークルが「家庭」から始まり、一旦外に出た後、再び「家庭」に戻ってくるというわけだ。

マザー・テレサは、「世界のために何ができるかですって?、家に帰って家族を愛しなさい」と語り、「愛は家庭に住んでいる」と述べている。テレサの言葉はトフラーの未来像にも通じる。「家庭」は愛の実践の場所としてだけではなく、価値あるものを生産する拠点ともなっていくからだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年6月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。