日本国憲法第9条2項は日本人にとって「栄光」かそれとも「屈辱」か(2)

本稿は、日本国憲法第9条2項について、こうした国家の自衛権を否定するような規定が設けられたのは、決して日本人が誇れるようなものではないことを伝えるためでした。というのも、これを「栄光」とする日本人が結構多いからで、ではなぜ、このような逆転現象が起きたかを解明する必要があると考えたからでした。

前稿では、この9条2項の規定が成立した歴史的成立事情について私見を申し述べました。そこで今回は、日本国憲法全体を視野に入れる中で、なぜそれが多くの日本人に「栄光」とされるようになったかについて、考えて見たいと思います。


山本七平によると、日本国憲法前文には「アメリカ的、キリスト教系新興宗教の教義的な『通俗的終末論』」が反映しているといいます。(以下『戦争責任と靖国問題』参照)

それはどういうことかというと、この憲法制定時の日本の実質的主権者はマッカーサーだったわけですが、彼は、太平洋戦争を第一段階の「終末」と解し、それによってもたらされた福音こそ「アメリカ的正義=人類の普遍的正義」だと考えていました。

つまり、その「終末」である太平洋戦争という大闘諍(ハルマゲドン)を経て、日本国は「ファシズム=闇の時代」から「アメリカの平和=光の時代」へと移った。同時に日本人は「闇の子」から回心して「光の子」になった。
 
つまり、こうした歴史の旧・新約的理解に基づいて、日本とドイツは「ヨハネ黙示録」の悪竜のような存在と見なされ、彼らが再び「闇の時」を招来しないように「閉じ込め」られ、「光の子」アメリカが主導する「国際連合」に監視された。(これが国連憲章第53条の「旧敵国条項」になった)

他方で、こうした太平洋戦争の「終末論」的解釈に基づいて、日本人が「闇の子」から回心して「光の子」になるに際しての決意表明が、日本国憲法前文に記された。また、その保障措置として憲法9条2項の規定が設けられた。

もちろん、この日本国憲法は、マッカーサーノートを受けてGHQ民政局がわずか十日あまりで作成し、それを日本政府に示し(S21.3.13)、若干の修正を経てS21年8月24日に議会で可決、その年の11月3日に公布したものです。

マッカーサーは、「この憲法草案の議会提出に際し、これは『日本人による文章』であると声明、それが司令部の示唆によることを推測せしめるような記事は全てプレス・コードに基づく検閲により削除」しました。そして、「『今や日本は近代的法治国になって、言論は自由になり、国民は主権者となった』」と一大キャンペーンを張りました。

しかし、実際は、この時の主権者はマッカーサーであり、「日本国民の意思は議会や政府を通じて表明されるが、主権者はこれに拘束されず、これを尊重するのはあくまで恩恵」に過ぎませんでした。つまり「民意による政治が民主主義」なら、これは到底民主主義といえるものではありませんでした。

にもかかわらず、当時の新聞や知識人は、こうした「事実」を一切隠して、占領下の民主主義と自由を熱烈に歓迎し、マッカーサーを賛美しました。そのため、一般の日本人は、かって「戦争を勝利に導くために働き続けた人間から戦争を呪う人間に一変」しました。

こうした日本人の”精神的無条件降伏”とも言うべき「回心」について、山本七平は、日本国憲法前文を引用し、次のように述べています。

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、我が国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行動によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、・・・この憲法を確定する」

”この文章は、戦争を起こす可能性のあるものは日本政府だけだという前提に立っている。事実「欧米の自由民主主義もソ連の人民民主主義も共にファシズムと闘う光の子である」という前提に立てば、そうなるのであろう。
そこで国連により外から監視し拘束し同時に国民により内から規制をすることが必要とされる。同時に過去の『闇の子』の指導者は裁かれ処罰されねばならない。”

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した・・・」

”この言葉には一つの前提があるであろう。いわばこの世界には『平和を愛する諸国民』(光の子)と「戦争を愛する諸国民」(闇の子)とがあった。そして「闇の子」は終末的な戦争において滅び、その国民の「闇の時」もまた終末を迎え、回心して「光の子」となった。
その「光の子」が、「平和を愛する諸国民」(光の子)の「公正と信義に信頼して」「安全と生存を保持しようと決意した」とは、言葉を変えれば「アメリカの平和(パックス・アメリカーナ)」に組み込まれて、「安全と生存を保持しようと決意した」ということであろう。”

そして、この決意は必然的に、日本国憲法第9条2項の戦力不保持、交戦権否認の規定と結びついた。前稿で述べた通り、この9条2項の発想は幣原喜重郎によるものと思われますが、マッカーサーに、以上述べたような「終末論」的発想がなかったならば、このような、国家の自衛権を否定する規定が生まれることはなかったと思います。

ではなぜ、多くの日本人が、こうした「終末論」的発想をもつ憲法を、「栄光」として受け入れたのでしょうか。”無条件降伏”をしたのだから仕方がない”としても、なぜ、占領が終わって独立した後も、これをかたくなに守り、民意に基づく民主憲法を自らの力で作成しようとしなかったのでしょうか。

それは「戦争を起こす可能性のあるものは日本政府だけだ」という前提に立ち、たとえ、国連が自衛権を認めても、「日本政府を内から規制」すべきであり、そのためには日本が戦力を持つことを禁止すべきである、と考えたからでしょうか。

それとも、日本人にこうした「終末論」を受け入れる何らかの素地があったのでしょうか。もちろん、その原因の一つが、広島、長崎の原爆投下があったことは間違いありません。しかし、その均衡によって大国間の戦争が抑止されていることも事実ですし、かといって、その均衡が世界に千年王国の福音をもたらしているわけでもありません。

それゆえに、日本は、日本国憲法第9条によって、永遠の戦争放棄と戦力の不保持を誓いながら、それは自衛権を否定するものではないとの苦肉の解釈を行い、「戦力」ならぬ相当の「自衛力」を持つと同時に、日米安保によってその「戦力」の不足を補っているのです。

こうした現実に対して、自衛隊を憲法違反としてその解散を求める意見は、今日ではほとんど聞かれません。しかし、最近の集団的自衛権の議論に見るように、日本の自衛権の暴走を危惧する意見は決して少なくありません。また、日本の戦力の不足を補い、日本及び極東の安全保障に責任を持つ、同盟国アメリカに対する不信感も少なくありません。

もしこれが、日本国憲法第9条2項の「戦力不保持、交戦権否認」を根拠とするものなら、もともとこの規定は、アメリカが、「闇の子」である日本人を「光の子」に回心させると同時に、その戦力を否定し、その安全はアメリカの平和(パックス・アメリカーナ)のもとに置くと宣言したものですから、アメリカは、これを真実を思い込んだ日本人に復讐されていることになります。

まさに、ウソ(WGIPにより千年王国幻想を日本に押しつけ洗脳したこと)のツケは、このようにブーメランのごとく我が身に返ってくるものなのでしょうが、アメリカがこうした終末論的歴史観の誤り(世界の「救済者」のごとく振る舞うこと)に気づいたのは、ベトナム戦争以降のことだったといいます。

であれば、日本も、アメリカが犯したこのような誤りから脱却する(「を繰り返さない」を訂正)ためにも、日本国憲法が前提とする、こうした歴史の「終末論」的解釈の誤りを正す必要があると思います。そうすることで、それを「栄光」とする「愚」から一日も早く脱却すべきではないでしょうか。この世に「千年王国」などないのですから。
*下線部7/7 10:52挿入訂正