「敗戦国」という甘え―軍事は何もしたくない人たち

2015年07月30日 13:04

「アメリカのお先棒担ぎにはなりたくないが、憲法を変えて自主防衛に近づけるのもまかりならぬ。改憲なんか絶対に許さない!」

安保法制反対派、護憲派の方々の意見を読んでいると大方こんなところなのですが、要するに何もしたくないということなのでしょうか。

彼らはアメリカの横暴が嫌いです。「中東の混乱はアメリカのせいだ!」「ISISはアメリカが生んだんだ!」という意見には理があると私も思います。

しかし一方で「どこそこで内紛が起こっているのに国際社会は何をしているんだ!」とか、世界の紛争地で巻き添えを食っている女性や子供たちを見て「何とか助けられないものか」などと同じ頭で考えもしているわけです。ではそういった国際紛争に一体誰が対処しているのかと言えば、仮に自分が蒔いた種だった場合があるとしても、中心は主にアメリカ(やNATO)で、他の各国とともに「多国籍軍」のような形で対処して来たものです。平和外交と言いますが、人道支援が行えるのは軍事的状況が安定しているところだけで、銃弾の飛び交うところで医療や食糧の支援を行うことはほぼ不可能です。


ISISに対しても(反米の思いは分からなくはありませんが)、アメリカをはじめ二十カ国が有志連合の軍事作戦に参加。カナダ、オーストラリア、ベルギー、デンマークなどが汗を流しています。国連軍を結成したくとも常任理事国の関係などもあり、これまでも次善策として多国籍軍やPKOで対処してきました。

しかし日本はそれらにも憲法九条を理由に参加しなかったり、あるいは参加しても「死者が出るような一番キツイところ」からはなるべく外れ、後方支援に回ってきました。国際貢献活動で死者を出すことをふくめて積極的に活動して来た他国の人たちからは、「あんなに戦力を持っているのにどうして日本はもっと積極的に活動しないんだろう」と思われていることでしょう。

安保反対派の女子大生が「平和な日々を守りたいのです」とスピーチして話題になっていますが、いま日本がやろうとしている国際貢献や平和維持活動は、世界の紛争地で、母と死に別れたり、栄養失調で赤子が死んだり、彼女が毎日楽しんでいるような音楽を聴くツールなど一生手に入れられない人たちの暮らす地域の安定を「武力の力も使いながら」「アメリカも介入する枠組みで」目指して行こうというものです。

「武力に頼る未来なら私はいりません」と言う女子大生が知ったら卒倒するかもしれませんが、この日本も、あなたが生まれてからこの瞬間まで、武力に守られていない時期は一瞬たりともありません。

日本は外から見ると本当に嫌な国だろうと思います。アメリカにも責任はあるとはいえ、軍備の一部をアメリカとアメリカの核に任せたことで浮いたコストを思う存分経済発展と社会保障費に回し、今では世界一の長寿国家。重んじるべき自国の「軍人」の地位を貶めて喜んでいる。諸外国の若者が血を流し、あるいは命は助かっても精神的に大きな痛手を負っている時に、非戦や反軍事を掲げて「俺たちには九条がある!」「俺たちの手は汚れていない!」「非戦ブランド!」と、まるで多国籍軍や有志連合の兵士たちの手が汚れているかのような言い分を声高に叫んで来たのでした。

アメリカに守られながら「アメリカは悪」と叫ぶ自己矛盾。私は憲法改正を行って、日本ができる最大限の自主防衛体制を整えるべき(その上での日米同盟はあり)だと思いますが、それも嫌だというなら、どうすりゃいいのか。そして国際社会の情勢に関しても「九条に縛られているから」といって、日本はいつもどこか他人事だったのです。

はっきり言って「敗戦国であることに甘え過ぎ」ではないでしょうか。過去の反省は必要ですが、反省さえしていればいい時期はもう既に終わっています。今の日本は「私たちは七十年前の反省をするのみで、それ以外のことは一切やりません! 武力なんて悪いものに頼りません! どうしてもというならカネだけは払います」と言っているのと同じです。敗戦国であること、「過去に悪事を働いた」ことを、今何もしない言い訳に使っているのです。

アメリカと一緒にやるのは嫌。

憲法を変えて自分で対処するのも嫌。徴兵制はもってのほか。

アメリカが国際社会に介入するのは独善的で気に入らない。

でも紛争やかわいそうな子供たちを放置する国際社会も許せないし、日本だけが平和をむさぼって、国際社会の大問題に無関心でいるのも我慢ならない。

しかし日本がそこに積極的に介入(つまり憲法を改正し、軍隊としての自衛隊を海外派遣し、国際貢献を果たす)のも許せない。

でも国際社会から信頼される日本でありたい。

どうすりゃいいんでしょうか。

「代案を出せ」という言葉は好きではありません。しかし、ここまで「あれもダメ、これも嫌だ」と言っていていると、結局はそれが、現状維持を継続させることになる。どうしてそのことに気付かないのでしょうか。

「アメリカについていかなければ、テロの標的にはならない」「基地がなければ狙われない」「中国を挑発しなければ、尖閣問題も起きなかった」「集団的自衛権を認めると戦争になる! 認めなければ平和のままだ」

彼らの言い分は常にこういう感じです。まるで「何もしないヤツ最強論」。「働いたら負け」と同じ感覚です。私たちがいくら目を閉じ、耳をふさいでも、今日も世界のどこかで紛争は行われている。

私は日本やドイツなどの敗戦国が、「戦後に蓄積した軍隊の力を、『自分のためだけではなく』、戦後秩序、国際平和の安定のために使って行こうと思います」(つまり集団安全保障の観点から、必要な場合には武力行使も含む国際貢献をやって行く)と表明することでこそ、戦前の反省が生かされた、と言えるのではないかと思います。ドイツは既にやっています。どうぞ護憲派の皆さん、憲法前文をいまいちどお読みください。「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と書いてありますよ。

もちろん、本来は自衛隊をきっちりと位置付けてから国際貢献をお願いすべきです。体制もできてないのに「行って来い」というのはあまりに酷です。そんな中で、できる限りの国際貢献を行って来た自衛隊の皆さんに敬意と感謝を表するものです。

「戦後秩序の維持」の名目でアメリカその他が自国に都合のいいような振る舞いをせんとしている、と分かった時には、同盟国として「賛成できない」と言うべきでしょう。それには「アメリカが多少日本を助ける気を失っても自分たちである程度守って行ける」体制が必要だと思いますが。ISISの反米の恨みを理解したいなら、なぜ70年前に日本がアメリカと戦争しなければならなかったのかも知ったうえでなければならない。その上でなら、日本にしかできないことができるようになるのではないかと思います。

もうそろそろ、日本がどう国際社会にコミットしていくのか、米国との関係をどうしていくのか、考えるべき時期ではないでしょうか。

梶井彩子(@ayako_kajii)

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