憲法第9条という「国体」

2015年08月02日 16:39

今国会の審議は、1930年代の帝国議会の「国体」をめぐる論争とよく似ている。美濃部達吉の天皇機関説は一種の解釈改憲で、井上毅が神格化した天皇大権を立憲主義に組み込むものだった。これに対して「国体明徴」なる意味不明のスローガンを振り回した右翼は、天皇を不可侵の神とすることによってみずからの道徳的優位性を誇示しようとした。

今回も第9条という戦後の「国体」をめぐる論議に終始しているが、その国体とは何か、戦力を保持しない憲法で平和が守れるのか、という根本問題は問われない。ここには丸山眞男が指摘したように、憲法という絶対的権威からの距離で身分秩序が決まる天皇制の精神構造が受け継がれている。

「解釈改憲はけしからん」というのは、戦前の右翼のスローガンだったが、それは欽定憲法の発想だ。今の自衛隊も解釈改憲であり、それ以上の解釈の変更で対応できないなら憲法を改正すべきなのだ。第9条を不磨の大典として絶対化する人々は、「統帥権の独立」を楯にとって軍縮に反対した軍部と同じだ。

それに対して立憲主義を主張した斉藤隆夫の反軍演説は有名だが、それは軍に反対するものではなく、平和を実現する手段である軍が自己目的化する事態に警告したものだった。Vlogでもいったように、憲法は国民の安全を守る手段であって目的ではない。手段を守るために目的を犠牲にするのは本末転倒だ。

今はまだ危機がさし迫っていないが、遠からず北朝鮮の政権崩壊で「有事」の事態が発生する。ノドンが飛んできてから、憲法をどうするか国会で審議する時間はないのだ。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 SBI大学院大学客員教授 学術博士(慶應義塾大学)

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