戦後70年談話と今後の日本

安倍首相も言及しているように先の戦争が日本人の心に深く刻み込まれる一方でその気持ちの表現は全ての人たちが違う言葉で表すことが出来るほど千差万別であります。21世紀構想懇談会のメンバーは非常にバラエティに富み、ある意味、出来上がりの報告書は教科書のようなもので偏差の最も高いところをカバーする形になり、標準偏差の枠から外れるお考えをお持ちの方々には不満足なものだったでしょう。

安倍首相があの報告書をどう料理し、どう国民や世界に発信していくのか注目されました。一読した限り(時差の関係で生は聞けませんでした)、やはり標準偏差の枠を超えない優等生の解答にしてしまった感があります。学校の成績なら悪くはないのかもしれませんが、安倍節のパンチがなかったかな、という気がします。もっとも閣議を通じてですから丸く収めるというバイアスがかかるのは致し方ありません。安倍首相の個人の70年談話とした方が本当の声が聞こえたでしょう。

日本では有識者会議といったフィルターには目詰まりを起こす因子が非常に多く入っています。一般的には左巻きの因子でありますが、これが会議参加者過半を超えることはしばしばであり、日本の独特のカラーが出てしまう結果の一つとなっています。これは戦後70年を通じて全く変わっていません。

日本が自民党体制がずっと続く右巻き国家と信じるとこれは案外間違った認識を与えてしまうほど日本の国家体制はユニークであります。海外から見ると世界一確立された社会主義体制とも揶揄される所以であります。いや、私はあえて日本型民主主義国家と言いましょう。

それは神道を通じて国民が平等に平和に協力し合って生きていくという日本古来からの基本が脈々と続いていることがあります。更に仏教より早く伝来し、江戸時代に花開いた儒教の影響も大きいかと思います。それが「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」に繋がってくるわけです。

敗戦を経て、日本人の魂は再び一丸となり、まじめに生きていくことに歩を進めていきました。復興という大きな目標はすべての国民が共有できる価値観となり、GDP世界第二位の国家まで上り詰めたのです。正に「一億総中流」という掛け声がその原動力であり、日本の社長は平社員の数倍の給与しか貰っていなくても皆、争うことなく頑張れたのです。サラリーマンの同期同士が昇給時期に基本給を囁き合い、「お前、俺より100円多いな」というライバル心を燃やすところは欧米には絶対にありえない思想なのであります。海外の人に言わせればさしずめ「目くそ鼻くそを笑う」になるのが関の山ですが、我々はそうは考えません。

植民地支配とは欧米の弱肉強食の発想から来ます。神道と儒教を背景に持つ日本が行ったそれは奴隷や支配という力の関係を重視する思想とは異なると考えています。欧米と日本で植民地の意味合いや扱いがどれだけ違うのかということを多くの日本人も外国人も知りません。これはひとえに学者の突っ込んだ主張が足らなったとしか言いようがありません。

そういう点からすると日本はボイスアウトが非常に下手であり、戦後70年間経済以外は下を向いていたような気すらします。これから日本は今まで以上にリーダーシップをもって世界に貢献していかねばなりません。その時、「お前は悪いことをした」といつも頭ごなしに言われ、嫌な思いをし続けることは本当に断ち切らねばなりません。

安倍首相の談話の中で私が一番うれしく思っているのは「あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」であります。首相が運命ではなく宿命という言葉をあえて使ったのは生まれた時点で既に背負っている逃れえないものであってはならないということを強く表現したかったのでしょう。

多分ですが、中国はこれ以上本件で絡んでこないと思います。小中華の韓国は中国が絡まないなら積極的に突っ込んでこない気がします。

これで70年の談話は一区切り付きました。これから日本がすべきことは日本が世界にもまれに見る国家体制と国民性を持っていることを鑑み、日本発の世界平和のあり方を生み出していくことではないでしょうか?今まではアメリカが世界のオピニオンリーダー的存在でありましたが最近のアメリカの言論のクオリティはやや陰りが見えてきている気がします。アジアの時代を迎えるにあたり日本がここでボイスを出せるような国に羽ばたいていくことが戦争に対する反省を踏まえた世界貢献になるのではないでしょうか?

今日はこのぐらいにしておきましょう。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人  8月15日付より