野党は「焼け跡」から立ち直れるのか

きのうのアゴラで宇佐美さんが書いているように、安保法案をめぐる審議は時間の浪費だった。集団的自衛権を「保持しているが行使できない」などという無意味な議論で国会をつぶし、「岩盤規制」はみんな先送りしてしまった。

こんな世界のどこにも通じない「ガラパゴス平和主義」を掲げた野党は、完敗した。維新の党は分裂し、民主党では解党の動きが出て、もはや「焼け跡」状態だ。特に情けないのは、かつて「普通の国」になる憲法改正をめざして小沢一郎氏とともに自民党を出た岡田克也氏が、何もできなかったことだ。

私も、彼らがここから立ち直れる可能性はないと思う。野党の集票組織は労組しかなく、彼らが統一戦線を組めるテーマも憲法しかないからだ。本当の「岩盤」は社会保障だが、この問題には与野党とも手が出せない。

他方、自民党がすばらしい政党だと思っている人も少ないだろう。それは近代的な意味での政党ではなく、個人後援会や冠婚葬祭で人間関係を築いて、長期政権を維持してきた。9割以上の自民党議員が、安保法案の条文も読んだことがないだろう。

日本は480の小選挙区(社団)からなる社団国家であり、彼らはその「領主」として地元利益を維持し、税金の再分配に寄生してきた。政策決定するのは1割未満のエリート議員だけで、あとの陣笠は「地元を耕す」ことが最大の仕事だ。

この構造は、幕藩体制から変わっていない。当時は藩(社団)が「国」と呼ばれ、それを統治する地方政府は「家」と呼ばれたので、「国家」という言葉は日本でできた。この国=家システムは明治維新で革命的に変わったようにみえるが、山県有朋のつくった地方制度は藩から県に看板を掛け替えただけで、殿様が官選知事になった。

この国=家システムは人間関係による親密圏の集合体だから、日本全体の政策をつくる公共圏は「天皇の官吏」に独占され、政党は(与野党とも)それを追認するだけの万年野党だった。これは戦後も続き、今でも法律は役所がつくって政治家を「まつり上げる」構造が続いている。

これを「政治主導」で改革しようとか「国家戦略局」で政策立案しようというのは、理念としてはわかるが、野党がこの国=家システムから浮いているかぎり、政治は本質的に変わらないだろう。現実的なのは、そのシステムを掌握している自民党が分裂して「保守二党」になることではないか。