再び敢えてヘイトスピーチを擁護する --- 山城 良雄

2015年09月28日 00:32

この夏、安保騒ぎで話題にはならんかったが、ある法案が廃案になった。ヘイトスピーチ規制法、与党が投げた。きっと、在特会からヘイトを取り上げて、戦争法反対に回られても面倒臭いからやろな。

この法案、どちらかと言えば、野党内の方が人気があった。右ヘイトを規制しようというつもりなんやろ。連中が必ず引用するのは、米・英・独・仏などの例や。「欧米諸国では、人種差別自体が違法です」とな。

放っておけ。放っておけ。そういう野蛮な発展途上国の真似をすることはない。少なくとも戦後日本で、差別思想のせいで大規模な人権問題が起こったことは無い。むしろ、統一教会やオ?ム(表記は適当や)などの宗教団体の方が、よほどヤヤコしい。宗教というのは必ず差別と迷信を含む。規制するならこっちにしとき。

だいたい思想を法規制することには無理がある。実際には憲法の特定部分だけは、批判を許さないという形になるのやろう。ドイツの反ナチ法が典型や。しかし、思想の自由を基本とする近代的な社会に、大きな矛盾を持ち込むことになる。

逆に言うと、多数のトンデモ思想の中で、ナチズムだけに特等席を与えることになる。規制が必要なほど強力な思想や。という雰囲気が出てくる。だから、ネオナチは今でも元気いっぱいや。

また、他人の頭の中は見えないから思想規制は、特定の思想を「表現すること」を規制することしか現実的には不可能や。これはこれで、あまり意味がない。たとえば、街頭での朝鮮人への差別的言動を規制する法律が出来たとする。しかし、在特会がこれを回避しながら街宣活動する方法はいくらでもある。ほな、例によって3バカ分類でやってみよう。

まず、正面から問題にぶつかるブチキレ街宣。もともと在特会は、朝鮮民族を差別する団体ではなく、在日朝鮮人韓国人のあり方(在日特権?)に反対する団体のはずや。その範囲で活動する限り、ヘイトと呼ばれる筋合いはない。

「在日朝鮮人は、帰化か帰国のいずれかを選べ」「文科省は朝鮮学校の認定をやめろ」……一つの政治思想や。規制するなら憲法改正が必要になる。

ひねくれた作戦を考えるヘリクツ街宣。ホメ殺しで行く。「在日朝鮮人の特権を守るぞ」「文科省は朝鮮学校の校舎新設予算をよこせ」……これを、新大久保や鶴橋で、延々と繰り返す。届け出も、「外国人差別に反対するデモ」。「迷惑だから帰って」と言われたら、「君たちのために頑張ってるんだから協力しなさい」と言い返す。客は寄りつかん。売り上げは減る。

もっと大阪らしいのが、ボケナス街宣。「おいミンミンゼミ。うるさいぞ」「田淵、ホームラン打たんかい(いつの話や)」「こらぁ、こらぁ、こらぁ」……街角でわけのわからんこと叫いているオッサン、大阪にはいくらでもおる。鶴橋へ行ってこれを集団でやる。

ミンミン蝉や四番キャッチャー田淵を真面目に批判する団体には不気味な力がある。ネットには、こんなメッセージを上げておく。「ひごろ在日批判をしている皆さん。たまには、セミや田淵を糾弾しませんか、〇月〇日、□□駅東口集合(拡散希望)」

マスゴミが取り上げたり、通りすがりで一緒に叫ぶやつ(大阪にはアホいっぱいおる)が出て、デモ?の規模が拡大しだせば、「朝鮮人は死ね」などと叫くより、よほど破壊力がある。意味不明な集団行動は、効率的に社会システムに蹴りを入れる。

70年安保闘争が下火になってきたとき、団伊久間氏(「ぞうさん」「花の街」の作曲家)が、「鬼の面をかぶって、『ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む……』と歌いながら数十人で10日ぐらい国会周辺を歩けば、どんな政府でも倒れる」と言うてはった。政府が倒れるかどうかは別として、この感性は理解できる。

最近の例では、昔のテロリスト、ガイ・フォークスの仮面を付けた反政府デモが、イギリス政府を倒す話(映画「Vフォー・ヴェンデッタ」【Wikipedia】)がある。ガイ・フォークスがややマイナーな人物であるだけに、ボケナス効果があった。これが、ロビンフッドや海賊ドレークだったら、楽しそうなディズニーじみたデモになり、まるで意味がなかったやろう。

話をヘイトに戻そう。結局、言論や思想そのものを取り締まるのは不毛な展開しかない。下手をすると、取締りが逆に運動にエネルギーを与えることもある。

だから、思想ではなく行動を、言論では無く迷惑を、取り締まるのが正当かつ効果的や。朝鮮民族の殲滅を望んでも良いが、鶴橋の焼き肉屋の邪魔はアカン。良い在日も悪い在日も死ねと叫んでも良いが、朝鮮学校の近くでは絶対に許さん。これぐらいで、ええのと違うかな。

さて、ワシがなんでこんなに在特会の擁護をするかと言うと、在特会の思想が大嫌いやからや。些細で特殊な権利を特権と呼び、大した影響力もない集団を脅威のように考える。このセコさが生理的な嫌悪感をもよおす。そやけど、だからこそワシは彼らの話を聞きたい。

自分と全然違う思想は、自分の頭に欠けている思考回路や、新しい発想の宝庫や。幼稚な考えや狂気じみたと思える思想でも、誰かが本気で思っている以上、何か見るべきもの、学ぶべきことがある。

ワシの場合、彼らのおかげで、在日の問題を放置してはいかんと思うようになったし、今度は、「帰化も帰国もせずに在日の地位にこだわる人」の考え方を、ぜひ、じっくり聞いてみたい。人間どうせ一回しか生きられんのやから、いろんな人の立場で世の中を見たほうが、退屈せんでええやないか。言論の自由や多様性の一番の値打ちはこの点やと思う。

7月22日の大阪朝日夕刊の連載記事に、こんなのがあった。 最高裁のある裁判官が部下の若手に判決の文案を書かせては、論破して書き直させる。また提出させては潰す。たまりかねた若手が、「初めからご自分で書かれたら」と言ったら、「お前の頭を借りて考えているのがわからんのか」と一喝された。言論の自由の大事さは、この話に尽きていると思う。

どうせ他人の頭を借りるなら、自分と全く違う頭がええ。極論や暴論も悪くない。部分的には鋭いエッセンスを含んでいることが多いからや。

こんな話もある。もう20年以上前の「朝生」で、原子力関係の教授が、反原発派と散々議論を闘わせたあげく、「今後も、原子力発電所の安全には皆さんの反対運動が必要不可欠です」と言って、場をシーンとさせた。原子力を本質的に危険極まりないものと見る偏見が、原発を動かしている自分たちが見落としている問題を、拾い上げてくれる可能性がある。ということやな。

間違った主張、幼稚な主張、身勝手な主張、訳の分からん主張。こういうものを、刈り込んでいくと、議論自体が貧困になり、いつしか致命的な欠陥をかかえこむことになる。そやから、ヘイトスピーチを含めて、あらゆる言論は可能な限り守るべきやと思う。

今日はこれぐらいにしといたるわ。

アホがかかると言われる夏風邪闘病中の山城良雄

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