万能ではない金融政策

ECB(欧州中央銀行)が22日に開く政策会議で何らかの金融対策を打ち出すのではないか、と噂されています。理由はインフレ率が低迷し、目標を達成する為に更なる金融緩和をせざるを得ないのではないか、と見られているためです。

日本では30日に日銀の政策会議があり、その際に金融緩和をはやす声が上がっています。日本も目標とするインフレ率に到達できず、その威信をかけて何らかの対策を打ち出すのではないか、とされています。一方で麻生財務大臣が16日に「多分、日銀の方も今すぐさらに金融緩和するというのではない」とし、「お金は余っており、むしろ需要が足りない」と小さくコメントされている点に留意すべきでしょう。

アメリカではその真逆の利上げのタイミングを虎視眈々と狙っています。12月の利上げ説はここにきて3割ぐらいの予想で過半数が来年度早々に予想を後ずれさせています。最もアグレッシブに9月利上げ説を強調していたTD Bankでさえ、いまや、16年6月説とかなりそのポジションを変えてきています。

私が疑問に思うのは、基本的に日欧米のこの金融政策には論理的な不整合があるように思えます。経済が振るわず、インフレ率がこのままではマイナスにすらなりかねない状況と片や、利上げして経済を調整しようとする政策がグローバル化の進んだ地球上の先進国同士で同時に議論されています。

このシナリオをそれぞれが個別地域の理由で実行した場合、金利差が当然発生し、為替に大きな影響が出てきます。その影響は結局は自分の国に跳ね返ってくることが往々にしておきます。

金融市場を通じての調整は経済が古典的で単純な形の場合では当然機能します。この場合、私が具体的に考えている単純な形とは国民の住宅取得に対する意欲です。若い世代が勤労し、住宅取得を目指し、第一次取得者層となり、更に家庭内で子供が出来、その養育、教育に対する出費と共に住宅の鞍替えなど旺盛な消費が継続されます。

ところが、日欧米ともに住宅取得ブームは一旦ピークを迎え、経済の大幅な調整を余儀なくされました。同時に住宅取得率は大体どの国も全世帯数の3分の2で頭打ちとなり、多少の振れ幅はあるものの双六の「ゴール」に到達したことになります。

住宅取得に伴い、通常、家具やインテリア、アメリカの住宅ブームの際には自動車までも新しく求める風潮があり、それが消費を大きく引き上げる原動力となりました。これはとりもなおさず、富裕層ではなく、中流が押し上げるパワーであります。

日米欧、ここで起きていることは中流層の没落と少子化による消費減退に起因していないでしょうか?

経済が成熟化した日欧米に於いては金融緩和は企業への刺激による活性化は期待できますが、個人の場合、住宅取得率が一定水準まで達しているため、金利低下による住宅ローンの低下でも十分な住宅取得喚起に繋がりません。

例えば、住宅ブームが今でも続くカナダを見れば、買っている人は海外からの二軒目など投資需要であり、「億ション」が飛ぶように売れています。つまり、住宅市場を十分潤しているのはドメスティックの真の住宅需要が主導するというよりも、グローバル化による富裕層の個人マネーが世界をフロート(浮遊)した結果であるとも言えるのです。

一方、企業ベースで見ると金融緩和により財務体質の強い企業がよりファイナンス能力が高まり、M&Aを通じて小さな企業を買収していきます。これは弱肉強食を金融緩和が推し進めているともいえ、ダメな会社を葬り去る強力なサポートともいえます。

私のこのストーリーはかなりひねくれていますが、これが結局、起業したり、中小企業が生き残る道筋が少なくなる理由の一つになっていると言えなくはありません。

財閥解体や小作農の推進といった平等な社会を作ろうとするかつての政策は今、考えてみると「双六を振り出しに戻す」ことかもしれません。が、私としては没落した中流層を引き上げ、全ての人に可能性を与える政策が今、必要であり、金利の上げ下げはあまりにも複雑化した現代社会のうわずみの調整機能しか持てなくなったように感じます。

2016年がどうなるか、いろいろ考えていますが、この金融政策もそのテーマの一つとなりそうです。

では、今日はこのあたりで。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 10月19日付より