日本でウケない小さな政府運動が米国で大衆化したワケ --- 渡瀬 裕哉

2015年11月01日 07:00

最初に断っておきたいこととして自分は米国政治を研究する学者ではありません。
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自分は米国保守派と足並みを合わせた小さな政府を求めるアクティビストであり、現地の人々との会話や体験を基にして文章を書いています。そのため、権威を大切にする専門の学者の皆さんとは意見が合わないこともよくあります。

2009年の茶会(Tea Party)が米国で発足して以来、私は東京茶会という団体を立ち上げて、米国のパートナーたちとの間で交流を重ねて、彼らの思考・活動内容について学びを深めてきました。

そのような中で外国人であるからこそ米国の茶会の特徴について深く理解できたことがあります。

日本で流れている報道では米国の茶会(Tea Party)が取り上げられるときは、強硬な歳出削減を求める政治勢力としてのみの側面が強調されることが多い傾向にあります。しかし、それらのメディアや専門家の解説は茶会運動の表層的な一面を取り上げた分析に過ぎません。

2009~2010年当時、全国規模の拡がりを見せていたTea Party Patriots の幹部や全米各地のTea Party主催者らにヒアリングしたとき、彼らの日常的な活動に「合衆国憲法」や「独立宣言」を読むという行為が入っていることに気が付きました。

さらに、茶会を含めた保守派の集会に参加すると、彼らは「私たちは米国人です。だから、小さな政府を求めているのです」という論理構造の演説を行っている姿を目にします。

これらが意味していることは茶会運動とはナショナリズムとスモールガバメントの一体化した政治運動であるということです。そして、これこそ米国において小さな政府を求める運動が国民一般に大衆化できた理由です。

単なる歳出削減を求める運動であったならば「Small Government Movement」という呼称でも問題がありません。しかし、彼らは国の起源となるボストン茶会事件(Boston Tea Party)という歴史的な事件が運動の名称とすることを選択しました。

茶会運動はナショナリズム(米国人としてのアイデンティティー)という国民共通の軸を持つことで、小さな政府を求める運動の大衆化という困難な試みを可能としているのです。

一方、日本において小さな政府を求める声はナショナリズムという軸を欠いています。むしろ、日本におけるナショナリズムは大きな政府と一体化しており、財政出動、規制強化、排外主義的な歴史観と結びついた全体主義的な傾向を示しています。

日本に小さな政府を求める大衆運動を起こしていくために必要なものは、自由民権運動などの小さな政府を求めるナショナルヒストリーを日本史の重要な要素として再構成することです。

ナショナリズムと小さな政府を求める声が一体化することを通じて、現在の日本に蔓延する無責任な万年野党体質の野党が消滅して、責任ある二大政党の一角としての政党を育成できると確信しています。

渡瀬裕哉
早稲田大学公共政策研究所地域主権研究センター招聘研究員
東京茶会(Tokyo Tea Party)事務局長、一般社団法人Japan Conservative Union 理事

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