金日成は替え玉だった 萩原遼著「朝鮮戦争」

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萩原遼の「朝鮮戦争ー金日成とマッカーサーの陰謀」から面白いエピソードを紹介しよう。

第一章 世紀のすりかえ劇
元々金日成は、30年代末ソ連軍が来るべき対日戦に備えて諜報とゲリラ戦を目的に組織した88旅団の大尉で大隊長。88旅団は極東ソ連のハバロフスクにおかれていた。

金日成の本名はキム・ソンジュ。漢字はわからない。彼はキムイルソンという仮名ももっていた。漢字では金一星、金日星、金一成、金日成のいずれか不明。それをいいことにソ連軍は彼を伝説の英雄金日成にすり替えて北朝鮮支配の傀儡に仕立て上げることにした。

伝説の金日成は1920年代にその名を轟かしたのだから日本敗戦の年1945年にはどんなに若くても50歳を超えているはずだ。ところがこの自称金日成は1912年生まれの33歳。おまけに彼は7歳にして漢方医であった父親に従い祖国を離れ満洲に移住した。満洲では中国語圏で生活したため朝鮮語より中国語が堪能であった。

そのため1945年10月14日初めて金日成として民衆の前に登場し演説した時聴衆の反応は極めて冷ややかであった。以下引用(青字部分) P52
いよいよ金日成将軍の登場となった。次の瞬間みな唖然とした。白髪の老闘士を想像していた人々の目の前に表れたのはそれとは似ても似つかぬ若造だった。この集会に参加して一部始終を目撃していたシナリオライターの呉泳鎮はその時の印象を次のように書いている。
「身の丈は1メートル66、67くらい、中肉の身体に紺色の洋服がやや窮屈で顔は日焼けして浅黒く、髪は中華料理店のウェイターのようにばっさりと刈り上げ、前髪は一寸ほど。恰もライト級の拳闘選手を彷彿させた。にせものだ!広場に集まった群衆の間にまたたくまに不信、失望、不満、怒りの感情が電流のように伝わった
(ソ連軍政下の北朝鮮ー一つの証言、1952年ソウル中央文化社)」

先の兪成哲氏もこの時会場にいた。彼は平壌入りして憲兵司令部に配属された。当日は会場の警備を兼ねながら世論収集とよぶ人心把握を命じられている。
「私は会場を回りながら民衆の反応を探ったのですが金日成の演説が始まると人々は『偽物だ』、『露助の手先だ』、『ありゃ子供じゃないか。何が金日成将軍なもんか』と口々に言い出したのです。そのまま会場から出て行く人もいました。というのも彼があまりにも若すぎるのと彼の朝鮮語がたどたどしかったからです」

だから今の金正日も本当は父親がいたハバロフスクの生まれだが、それでは具合が悪いので白頭山に生まれたという伝説が作られた。

著者の萩原遼は実際に朝鮮語資料を原文で読みしかも北朝鮮から亡命した人達に通訳なしで取材しているので信憑性は極めて高い。著者がインタビューした兪成哲氏も金日成に迫害されソ連に亡命した人。ソ連崩壊前であれば彼に会うことは難しかっただろう。

北朝鮮建国以来の政治劇は二十世紀の現実とは思えない。日本でも或いは戦国時代ならあったかもしれない。

青木亮

英語中国語翻訳者