日本軍の最大の罪 『毛沢東』

毛沢東 日本軍と共謀した男 (新潮新書)
遠藤 誉
新潮社
★★★★★



中韓との歴史論争は、80年代以降の現象である。韓国では全斗煥、中国では江沢民が初めて「歴史問題」を外交の場に持ち出した。特に重要なのは後者である。江沢民の父は汪兆銘政権(日本の傀儡政権)の幹部であり、それを隠すために「反日」の姿勢を強調したのだ。

毛沢東は、日本に対して歴史問題を持ち出さなかった。なぜなら彼も汪兆銘の協力者だったからだ。彼は日本を恨むどころか、戦後に何度も「日本軍が国民党を倒したことに感謝する。日本軍がいなかったら、われわれは政権を取れなかった」と公言している。

毛沢東の主要な敵は蒋介石であり、彼を倒して政権を取るために日本と協力し、国民党軍の内部情報を日本軍に通報した。その拠点になったのが、北京にあった「岩井公館」で、毛沢東の指令で岩井と連絡を取っていたスパイが潘漢年だった。

毛沢東はソ連の支援を受けていたが、中共軍は貧弱で、国民党との内戦で劣勢だった。しかし国民党の内部情報を得ていた毛沢東は、張学良を使って1936年に西安事件で「国共合作」させた。このとき毛沢東は「日本軍に対して団結する」と宣伝し、中共軍は全滅をまぬがれたのだ。

翌年から始まった日中戦争では、国民党軍が南京や重慶で消耗戦を強いられていたとき、毛沢東は延安に逃げ、汪兆銘を通じて日本軍と蒋介石を倒す交渉をしていた。中共のスパイが、国民党の軍事拠点の位置や作戦計画を日本軍に通報した記録が残っている。

だから毛沢東は「南京大虐殺」に一度も言及したことはない。敗戦で日本軍が投降すると、その装備を奪って国民党軍と戦い、蒋介石を台湾に追放した。そして対日工作を行なったスパイをすべて抹殺・投獄し、口を封じた。

毛沢東は日本軍と戦って勝ったとは思っていないので、日本に賠償も求めなかった。9月3日の「抗日戦争勝利記念日」を盛大に祝ったのは、習近平が初めてだ。日本軍の最大の罪は、国共内戦で(結果的に)共産党を支援して毛沢東に政権を取らせたことであり、それは今も世界情勢に大きな影響を与えている。