何故なくならない 偽装、偽造、手抜き問題

岡本 裕明

日本で起きる経済事件には偽装、偽造、手抜きといった点に端を発していることも多いようです。ちょっと古くは雪印牛肉偽装事件とかマクドナルドの経営が転げ落ちた鶏肉事件もそのカテゴリーでしょう。最近では東芝事件もそうですし、横浜の傾いたマンションにかかる杭問題もそうでしょう。

何故多いのか、そしてなぜ改善されないのか、どこか根本的問題原因が隠されている気がします。それを今日は少し考えてみたいと思います。

多くの問題においてその発生原因はたった一人の従業員といったようにごくわずかの人数の失敗に端を発しているものは多いものです。それがどうして発覚したのか追求するうちに東芝の様に組織の雰囲気の問題だったとか、雪印事件の様に管理が甘かったといった帰着点に至ります。その時点で責任者が謝罪会見をし、非を認めることで溜飲を下げてしまう、という一連のサイクルがあります。

ところが実際に発覚したのは大事件に繋がった不運さがあったからで隠ぺいされている問題は何処でも日常茶飯事で起きているはずです。それが見つかっても大問題にならなかったり、まだ見つかっていないだけと考えた方がよいと思います。

海外から見る日本人の特性は極めて厳格、且つ、高い水準の平準化を求めるため、それを提供する経営側は管理、コスト、競争力に日々立ち向かわねばなりません。それでも経営者は努力すればした分だけ報われる褒美がありますが、雇われている側からすれば罵声を浴びせられ、残業を強いられ、ストレスを溜めこまざるを得ない人も多いでしょう。その堪忍袋の緒が切れた時、手抜きをするか、ずるをするか、社会問題を引き起こす、といった行動に出ていないでしょうか?

時々行く日本だから特に気になるのですが、JRなどで安全確認を理由に列車が止まる頻度が高まっています。国交省によると1988年には輸送障害件数1883件だったものが2013年には5339件まで膨れ上がっています。車掌のアナウンスは多くの場合、線路に人が入った、緊急停止ボタンが押された、安全確認といったものですが、これがなぜ増えたか考えると人のストレスの関連性は有り得そうです。

日本の場合、ほぼ単一民族の特性が問題を大きくすることがあります。例えばメディアなどで飲食店、店舗、商品などが紹介されると極めて大きな反応となり、注文や売り上げが一時的に急増する傾向があります。これは経営者にとっては良いのですが、従業員の数は突然増えませんので業務の負担が増える一方となります。

また、杭偽装発覚の際は過去のくい打ち工事全てを短期間に全部調べあげる、という作業を要求されました。一般市民は何気なくそのニュースを見ていますが、多分、全社挙げて必死の対応を徹夜でやったと思います。なぜならそんなマニュアルはないし、機械化できないため、人力作業となるからです。しかし、その間の負担が取り上げられることはまずありません。

多くの企業はマーケットシェアや売り上げ、利益、部門間の戦いなどを通じて従業員を企業戦士として酷使します。それでも機械の管理が甘かった80年代まではヒューマンタッチの良さがありましたが、近年は機械やコンピューターが人間を管理する時代となり、やりきれない世界を生み出している気がします。正に「病める日本」となりやしないか心配です。

このブログでは日本の素晴らしさや日本製品の競争力を取り上げ、多くの読者の方にもそう感じて頂いているかと思います。ただ、いま目を向けなくてはいけないのは良い話ばかりではなく、ひずみが社会の至る所で見られるということです。弱肉強食というのは欧米社会での典型的表現ですが、私は日本の企業経営は世界でもっとも過酷な弱肉強食の世界が繰り広げられていると考えています。だからと言って、みんなで緩やかな世界を愉しもう、という発想にはならないでしょう。私もそうは思いません。

多分、もう少し会社から報われるような報酬体系に変えることが一つありそうです。責任だけ負わされている人があまりにも多い気がします。企業の利益を2割削り、従業員に還元する発想もありかも知れません。それこそ、全ての従業員にストックオプションを提供するぐらいにして飴と鞭を明白にすることは今すぐにでも出来そうな気がします。

報われない社員が多すぎることが偽装や手抜きの原因の一つになっているとすれば意外と改善する余地はありそうです。

では今日はこのあたりで。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 11月18日付より