本来あるべき政策論争

2015年11月24日 07:00

昔ながらの軸のぶれない共産党を中心とする勢力は今後とも日本の政治の中で一定の役割(「反対の為の反対」機能)を果たすだろうが、選挙での得票率で言えば、せいぜい全体で15-20%以下に留まるだろう。

現在の民主党の執行部は、「護憲」と「反原発」を唱えてさえいれば、自民党に対する批判勢力の中心に座れると思っている節があるが、彼等は「民心は移ろい易い」という事実をあまり理解していない様に思える。

時が経つにつれて、原発問題にしろ、安保問題にしろ、「怪しからん」という当初の一般市民の高ぶった気持ちは、「デマの終息」と「誤解の氷解」を含む「事実関係のより正確な理解」で中和されて、常識的な線に落ち着いて来るのが普通だ。そして、そこで残るのは結局は経済問題だ。

現在の日本の政治の最大の問題は、党内が安倍支持一本にほぼ固まってしまった現在の自民党に対する「健全な対抗軸」がない事だ。民主党が本気で二大政党体制の一方の旗頭を目標とするなら、「戦争ハンターイ」と叫ぶだけの「共産党への追随路線」には一日も早く見切りをつけて、次の三本の対抗軸の「全て」或いは「何れか」で、現実な政策提言(安倍政権の政策に対する対案)が出せるようにすべきである。
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臨時国会が開かれずに年越しを迎える異例の展開。通常国会では参院選に向け建設的な政策論議ができるのだろうか(首相官邸ホームページより、アゴラ編集部)

対抗軸 その一:
「市場原理主義」vs 「国家主義経済」

この対立軸は言い古されたもので「小さい政府」vs「大きい政府」と言い換えても良い。日本は資本主義経済の信奉者のように見られているが、戦争直後から現在に至るまで一貫して、日本の政治家の多くは後者に憧憬を持ってきたように思える。安倍首相にも特にその傾向が顕著だ。

米国では、伝統的に共和党は前者、民主党は後者という色分けがなされているが、政権の如何に関わらず、ここ数十年で金融資本主義が野放図に肥大化し、その結果として格差がどんどん拡大している傾向がある。このままでは、「1%の人間が国民経済を左右している」という批判はどこかで爆発するかもしれない。

日本人は、生まれながらにして「弱者に優しい」一面を持っており、「弱肉強食」を当然として受け入れるメンタリティーがない。しかし「働かざるもの食うべからず」という自助精神も根強いから、どちらの方向にも抑止力が効く様に思う。また、こういった日本人の精神的な特性が、長年の間に培われた「丁寧」「勤勉」「忠実」などの美徳と相まって、工業化時代には一気に日本の国際的競争力を高めたのも事実だ。

しかし、今後の世界経済が「情報化社会」と「グローバル経済」をベースとするようになると、ここに陥穽が無いとは言えない。これからは、個々の人間や企業、及び社会全体において、「生産性向上への執念」と「革命的な発想力」をどうすれば十分に刺激する事が出来るかが、基本的な国の経済政策としても重視されるようになるだろう。

対立軸 その二: 
「経済成長重視の競争社会」vs「環境保護重視のスローライフ」

経済問題を論じるあらゆる国際会議で常に声高に論じられるのは「成長戦略」である。中には「エネルギーの枯渇」等の理由により「世界経済が成長し続ける事などもともと不可能」と断じる人もいるが、それなら、世界中の全ての政府や中央銀行、経済学者などが揃って戯言を言っている事になってしまう。

日本でもこれは同じで、先ずは比較的簡単な「金融緩和」と「財政出動」で気を引いたアベノミクスも、「有効な成長戦略が描ければ成功の可能性もあろうが、それがなければ失敗は必至」と見る人が多い。しかし、困ったことに、成長政策を本気で推し進めよういとすると、「環境保護」や「格差是正・弱者救済」等の他の重要政策課題と矛盾を生じてしまう事が多い。

成長政策には、
1)生産性の向上
2)人間の欲望の刺激
3)エネルギーやその他の資源の確保
が必要となるが、1)と2)は「弱者切り捨て」に繋がりやすく、2)と3)は多くの場合「環境破壊」をもたらす。

先ず、生産性向上を徹底していけば、自動化の更なる徹底やロボットの大規模投入が必須となり、未熟練労働者は働く場を失う。或いは、低賃金の外国人労働者の導入も進むかもしれない。(尤も、生産性が向上しなければ、国際競争力が失われて工場は閉鎖されてしまうので、結局は同じ事だ。)

次に、資本家や企業主の収入を制限して格差を是正しようとすれば、資本家は日本には投資しなくなるし、企業主は日本からいなくなってしまう。日本から金持ちがいなくなれば、格差は是正されるが、日本にいるのは失業者と貧乏人ばかりになるので、結局平均的な生活水準は更に低くなってしまう。

各個人があまりガツガツせず、物に対する執着を捨てて、それぞれの精神的な満足を第一にするような生活を送れば、この世界は随分住みやすくなるかもしれない。しかし、そうなると産業は停滞するので、失業者は増え、諸外国が引き続きかつての日本のような経済成長至上主義をとれば、あっという間に日本は国際関係で無力な存在になり、様々な局面で惨めな思いをする事になりかねない。

最後に、エネルギー政策が最も意見の分かれるところだろうが、日本が安全面を極端なまでに重視して原発を全廃し、CO2削減の為に石化燃料による発電も抑制したら、日本の経済力は確実に大幅に弱体化する。それでも放射能に汚染されるリスクを負うよりはマシという考えはあろうが、これはそう簡単に白黒がつく問題ではないから、結局はどこかで線を引いて、意見の異なる両サイドが妥協せねばならなくなるだろう。

対立軸 その三:
「世界平和への貢献」vs「日本版モンロー主義」

「自衛隊の存在は違憲だから解散せよ」という人は流石にもういない様だが、「自衛の為に何が必要か」という事になると、人によって考えはまちまちの様だ。

集団的自衛権の議論はまさにそこのところの議論であって、意見が分かれるのは当然だ。「自衛権を極小に制限にしても大丈夫だ」と信じる人がいれば、その根拠を説明して大いに議論すれば良いのだが、集団自衛権を必要だと考える安倍首相に対し、「お前は人間ではない」等と言う「野蛮な大学教授」がいるので、話がややこしくなるだけだ。

しかし、自衛隊の海外派遣の問題になると、話はもう少し難しくなる。現行憲法の前文には「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」とも「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」とも書かれており、しかも「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と結ばれているので、もしこの前文の精神に忠実であろうとすれば、日本もISの空爆に参加すべきだということになってしまう。

理屈から言えば、もしこの「責務」から逃れようとするなら、「欧米の考える政治道徳の法則は普遍的なものではない」と主張するか、「日本には戦力がないので責務を果たしたくてもできない」と主張するしかないが、前者は国際社会での日本の深刻な孤立を招くだろうし、後者は「現在の自衛隊で出来る範囲でやってくれればよい」と言われればそれまでである。

話を元に戻して、自衛の為に何が必要かについて考えると、護憲派の人達はもっと複雑な矛盾を抱えてしまう。「今の自衛隊で十分であり米国との同盟関係は不要」と主張すれば、取敢えずは「尖閣」をケーススタディーのテーマとして、自衛隊の大増強や、挙げ句の果ては核武装の必要性まで主張しかねない極右勢力と、真っ向から議論せねばならなくなる。しかし、「米国との同盟は必要」と認めれば、「米国から求められる海外での後方支援」は断れなくなる。

この様に、この問題もそんなに簡単に白黒で論じられる問題ではなく、どこかで一線を引いて、異なる考えを持つ人同士が妥協する事がどうしても必要となろう。健全な野党とは、そういう妥協点を見つける為に汗をかく存在でなければならない。

松本 徹三

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