デイトン和平協定が発展の障害 --- 長谷川 良

2015年12月05日 13:31

20万人の犠牲者、200万人の難民・避難民を出した欧州戦後最大の民族紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992~95年)を終焉させたデイトン和平協定がパリで締結されて今月14日で20年目を迎える。和平協定後の過去20年間の歩みについて先日、ウィーンの国際経済比較研究所(WIIW)の上級エコノミスト、ウラジミール・グリゴロフ氏と会見する機会があった。

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▲インタビューに応じるグリゴロㇷ氏(2015年12月3日、WIIW内で撮影)

グリゴロフ氏は、「ボスニア紛争後の過去20年は残念ながらサクセス・ストーリーではなかった」という。民族紛争によって大部分の産業インフラは破壊され、多くの国民は国外に逃げていった。失業率は現在30%に近い。特に、青年の失業率は50%にもなるという。政治的、社会的不安定なボスニアに投資する欧米企業は少なく、「過去20年間でボスニアに流れ込んだ資金は海外出稼ぎ組の送金と国際社会からの経済支援だ」というから大変だ。

グリゴロフ氏は、「ボスニアがうまくいかない最大の原因はデイトン和平協定だ」と断言する。和平協定がその後の国の発展を妨げる最大の障害となっているというのだ。

米オハイオ空軍基地デイトンで紛争勢力代表が合意に達したことから「デイトン和平合意」と呼ばれ、パリで正式に調印された。基本はボスニアをイスラム系とクロアチア系住民から構成されたボスニア連邦とセルビア系住民のスルプスカ共和国に2分断し、それぞれが独自の政治を運営する。

「ボスニアでは久しく、3民族が共存し、同じ言語(セルボ・クロアチア語)を使用して意思疎通できたが、デイトン和平協定後、民族間に境界線が引かれ、分断は固定化された」(グリゴロフ氏)わけだ。

政治分野だけではない。ビジネスから社会・文化活動も民族によって決定される。簡単に言えば、クロアチア系住民がセルビア人が多数を占めるスルプスカ共和国では職業のチャンスはなく、政治的な活動もできない。逆に、セルビア系住民はボスニア連邦では政治的、経済的差別を甘受せざるを得ないというわけだ。

ボスニアはデイトン和平協定後、イスラム系、クロアチア系、セルビア系の戦いは終わったが、民族間の和解からは程遠く、『冷たい和平』(ウォルフガング・ぺトリッチュ元ボスニア和平履行会議上級代表)の下で、民族間の分割が静かに進行しているのだ。

ボスニアの発展に阻害となるのなら、デイトン和平協定を破棄、ないしは改正すればいいと考えるが、実際はそう簡単ではない。グリゴロフ氏は、「デイトン和平協定は国際条約だ。簡単に破棄は出来ない」という。

同氏は、「デイトン和平協定締結時と現在では政治情勢が異なる。当時は欧米諸国とロシアがボスニア紛争の解決に努力し、ロシアは和平協定履行の監視国でもある。しかし、欧州とロシアは今日、ウクライナ紛争問題で対立している。それはバルカン諸国の政情悪化にも繋がることは確かだ。ただし、それ故に、ボスニアに対する関心は高まってきている。米国やロシアはボスニアで活発な外交活動を再開している。欧州連合(EU)も同様だ。ボスニアの欧州統合テンポの加速など積極的になってきている。逆説的に聞こえるかもしれないが、中東諸国で問題が出てくると、バルカンの戦略的価値は高まるのだ」という。

スルプスカ共和国ではボスニア連邦からの独立だけではなく、母国セルビアへの併合を要求する声が聞かれる。しかし、ロシアがウクライナのクリミア半島を併合したように、セルビアがスルプスカ共和国を併合する、というシナリオは非現実的だ。

デイトン和平交渉では3民族間の紛争を停止させることが至上目標だった。だから、和平後について考慮する余裕がなかったわけだ。和平は実現できたが、民族間の和解の道は20年経過した今日も依然、見えてこないのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年12月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。


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