人権という名の罠 --- 竹沢 尚一郎

2015年12月24日 07:00

フランス無差別テロの余波


11月13日に起きたパリの多発テロの余波はつづいている。その3日後、フランス大統領オランドは上下院議員を集めて、この事件がフランスに対する「戦争」であり、フランスの自由と理念に対する攻撃であると断言した。その結果、フランスはシリア内のIS支配地(「イスラーム国」)に対する空爆を強化したのである。

オランドが、「戦争」を口にしたことには驚かされた。もちろんそうした強硬姿勢が、フランスの有権者を対象としていたのは明らかである。翌12月にはフランスで地方選があり、移民の排除とムスリム(イスラーム教徒)に対する監視の強化を主張する極右勢力の伸張が予想されていたことが、彼の頭にあったに違いない。実際、国民戦線ばりの強硬姿勢はオランドに対する国民の支持を集め、それまで30%前後であった支持率は一挙に50%を超えたのである。

しかし、それは別の結果を生み出している。従来、移民の管理とムスリムへの監視の強化は、極右政党や右派が主張していたものであり、オランドの支持母体である社会党は一定の距離を置いていた。オランドがこれほど「右傾化」したことは、フランスの政治に歯止めがかからなくなったことを意味しており、国内に住むムスリムとマジョリティのあいだの軋轢が増長する可能性が増したことなど、将来的に大きな課題を残したことは疑いない。

この事件の余波はその後も続いている。翌月3日には、従来ISに対する空爆に慎重であったイギリスが議会で空爆への参加を承認している。また、同様に一定の距離を置いていたドイツも、空爆には参加しないものの、ISと「戦争」をするフランスを支援するために艦艇等の派遣を決定しているし、フランス軍が駐留している西アフリカ・マリでの負担を軽減するために、1300人の軍隊の派遣を決定している。

この決定もまた大きな意味をもっている。マリの国連平和維持活動はこの2年のあいだに130人を越える人名の損失を招いており、もっとも危険なPKOといわれている。ドイツは2006年よりアフガニスタンに軍隊を駐留させているが、それによって300人を超える死傷者を出しており、それ以上の被害が出ることが予想されているのだ。

ところでシリアにおけるISの伸張は、ソ連に支援されるアサド政権と、欧米が支援する反体制勢力のあいだの内戦が生んだ権力の空白に付け入ったものであった。であれば、ISに対するもっとも有効な抑止策は、アサド政権と反体制派が手を結んでISの解体に向けて協力することである。ところがそれが困難なのは2つの理由による。1つは、シーア派であるアサド政権の弱体化を望む一部スンニー派諸国の意向があるためであり、もう1つは、アサド政権の人権抑圧を批判してきた欧米諸国がその退陣にこだわっているためである。であるかぎり、シリアの混乱は今後もつづき、さらに多くのテロの危険と難民の拡大が生じるだけだろう。

欧米諸国による軍事介入


イスラーム過激派によるテロ活動がこれほど世界中に危険を撒き散らしたのは、2001年のアメリカ同時多発テロ以降であった。その首謀者とされたウサマ・ビン・ラディンの引渡しをアメリカはアフガニスタンに対して求めたが、その要求が通らないことを見て、アメリカを中心とする欧米軍はアフガニスタンに侵攻してタリバン政権を倒したのである。それと並行してブッシュ大統領は、イラク、イラン、北朝鮮の3カ国を、人権抑圧と国際的な破壊活動を引き起こす「テロ支援国家」だとして、その解体を企てた。2003年には、イラクが大量破壊兵器を秘匿しているとの嫌疑をかけて国際機関による査察を求め、それが拒否されると、米英を中心とした軍隊を派遣して同年5月にフセイン政権を倒した。しかしその後には、以前にも増した混乱と破壊がつづいていることは周知の通りである。

一方、2011年にチュニジアで生じた民主化を求める運動は、エジプト、リビア、シリアなどにも広がり、軍が権力を再掌握したエジプトと民主制が保たれているチュニジアをのぞいて、内戦を招いている。リビアでは人権抑圧が批判されてきたカダフィー政権の打倒を求める反政府勢力が蜂起し、NATO軍による空爆等の支援のもとにカダフィー政権が倒された。内戦が生じたシリアにおいても、欧米諸国の支援を受けた反政府勢力とアサド政権とのあいだの戦闘は今もつづいており、いつ終わるとも知れぬ混乱に拍車をかけている。

こうして見てくると、人命尊重と人権擁護の名の下でおこなわれた欧米の軍事介入が、問題の解決ではなく、問題の拡大と安定の破壊に向かったのは明らかである。それにしても、欧米諸国が他国の領土に対して空爆を含めた軍事介入をおこなうことは、国際法上どのように容認されうるのか。イラクの事例を見れば、フセイン政権がいかに反民主的で人権抑圧的であったとしても、その政権は一応は合法的なものであった。であれば、欧米が課した査察の拒否という理由で地上軍を派遣するという行為は国際法上許されるのか。シリアにおける反政府派に対する軍事支援についても同様である。

時間を遡るなら、NATOの側の変化は1990年代のユーゴスラビア紛争時に始まっている。旧ユーゴはチトーの強権政治によって統一を維持していたが、その死後国内は混乱して民族間の衝突がくり返された。ボスニア・ヘルツェゴビナやコソボで少数民族に対する虐殺や人権抑圧がつづいたことを理由に、NATOは軍事介入して国内を一応の安定へと導いた。人権抑圧や他国への危険の拡大が確実視される場合には、国連の決議を待たずして国境を越えて軍事介入することが許されるとする決定をNATOは自分で下したのであり、それがその後のリビアやシリアでの介入へとつながったのである。

ここでの論理は以下の通りである。生存権を含めた人権は万人に保障された普遍的権利であるので、ある国においてそれが大きく侵害されていることが明らかな場合には、他国に軍事介入することも許される。ここにあるのは、すべての人間が生得的に有する普遍的権利としての人権を、国家の不可侵性より上位に置くという論理である。しかしそれは、他から(たとえばイスラーム諸国から)承認される論理なのか。

(以下、「人権という名の罠(2)」に続く)

竹沢尚一郎
国立民族学博物館・教授

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