ロシア・ティーとウィーンの珈琲 --- 長谷川 良

2016年01月17日 14:30

オーストリアの第2都市グラーツで35年前、半年ぐらい生活したことがある。友人が「冬には買え」と勧めてくれた厚く重いマンテルを着ても、当時の冬は寒かった。そのようなこともあって、外出すると、喫茶店に入り、ティーを飲むのが日課となった。ティーの時代の始まりだ。

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▲ウィーン市の有名な喫茶店Cafe Landtmann (Cafe LandtmannのHPから)

喫茶店のメニューに「ロシア風ティー」が載っていた。田舎出身の当方は「どんなティーだろうか」と考え、好奇心から注文すると、ウエイターがルム(ラム酒)の入った小コップとティーを運んできた。今ならルムがラム酒と知っているが、当方は当時、ラム酒がアルコール飲料だということを知らなかった。注文し、ラム酒を入れたティを飲むと、体がホカホカしてくる。少し甘いが、いける。それ以来、グラーツ時代は“ティー・ミット・ルム”を飲むのが日課となった。

半年後、ウィーンに移転した。ウィーンではやはりコーヒーが人気があった。当方は直ぐにミルク入りのコーヒー、メランジェが好きになった。立ちながらコーヒーを安く飲める店を見つけてからは、連日、飲んだ。エリのコートを立て、路上を歩く市民の姿をみながら、新聞を読み、一杯のコーヒーを飲むのは当方にとって至福の時間だった。

時は冷戦時代だった。当方はウィーンからワルシャワ、ブタペスト、プラハなど東欧諸国を取材した。東欧ではコーヒーは貴重品だった。ルーマニアのブカレストでジェトロの支局長と会談した時、「君、ここではコーヒーを出して持て成すのが最高のもてなしだよ」と説明し、コーヒーを出してくれた。ウィーンではハンガリーから買物旅行者が殺到したが、マジャール人のお目当ては当時、洗剤と珈琲の豆を買うことだった。1キロ入りのコーヒー袋をいくつも買ってバスに乗るマジャール人の姿はウィーンのショッピング街の風景となった。

旧ユーゴスラビアの首都ベオグラードでミロバン・ジラス氏(当時、反体制派知識人、著書、「赤い貴族」は世界的ベストセラーとなった、元副首相)の自宅を訪ねた時、夫人が美味しいティーを出してくれた。夫人のティーはまろやかな味だった。
 
東欧取材ではびっくりすような贈り物を貰ったことがあった。スロベニアのリュブリャナでミラーン・クーチャン大統領と会談した時だ。当方が会見のお礼に日本風和紙のお札入れをプレゼントすると、大統領は書斎の隅にあった小型ボックスからワインを持ち出し、「スロバニア産のワインだ。記念だよ」とプレゼントされたことがあった。当方は強縮した。

ロシア・ティーから始まり、ウィーンのコーヒーの日々は“あの日”を期して、幕を閉じることになった。少なくとも、外ではティーやコーヒーを飲むのをやめてしまった。

国際原子力機関(IAEA)の査察官と会見するために国連から遠くない喫茶店で待ち合わせした。まだ時間があったのでいつもの様に立ちコーヒー店に入った。そして相手とのランチではコーラー500ccを飲んだ、昼食が終わった後、別の場所でコーヒーを、ということになった。

短時間に強いコーヒー2杯とコーラー500ccを飲んだ当方の胃袋はその直後から混乱し出した。相手を見送ってから当方は直ぐに国連記者室に向かったが、記者室に到着するまでの10分間、忘れることができない苦しい時間を過ごした(詳細はカットする)。

あの体験から、外ではもはやコーヒーをほとんど飲まなくなった。その代わり、自宅で毎朝2杯前後、コーヒーを楽しんでいる。歳を重ね、当方の胃腸は若い時代のようにタフではなくなったからだ。あの日の悪夢が当方の無意識の中で強烈なストレスとなり、外でコーヒーを飲むと胃腸の働きが途端におかしくなるのだ。

最近は時たま、外で美味しいコーヒーを飲み、ゆっくりと新聞を読んで過ごした若い時代を懐かしく感じる時がある。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年1月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。


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