メリー喜多川も真っ青?みんなの党にみる政界泥沼対立 --- 選挙ドットコム

2016年01月21日 06:00

前回の記事が好評でたくさんの反響をいただいた。とりわけみんなの党には期待も大きかったのか、復活を望む声も。今回はその続編として、みんなの党の解散を振りかえってみたい。

みんなの党は第三極ブームの先駆けとして一時期大きな存在感を発揮したが、激しい内部対立の結果、たった5年で解散に追い込まれた。国を動かす政治家も、結局はただの人間。「好き、嫌い」「合う、合わない」といった人間臭い理由で離合集散が繰り返されている。

二大政党の狭間で急成長


みんなの党が産声を上げたのは2009年。前年に自民党を飛び出した渡辺喜美氏、無所属だった江田憲司氏、民主党出身の浅尾慶一郎氏を中心に、5人の現職議員で立ち上げた。当時のキャッチフレーズは脱官僚や地域主権。政界再編の「触媒」になるとうたった。

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▲みんなの党所属議員は一時期総勢36名だった(FBページより)

直後の衆院選では政党要件ギリギリの5議席にとどまったが、翌年の参院選で自民、民主に次ぐ10議席を獲得。一気に野党第2党に躍り出て、与党・民主党が参院で過半数を割り込んだねじれ国会において実質的な決定権を指す「キャスティング・ボード」を握った。

当時は自民党が政権の座から転げ落ちたばかり。民主党も鳩山由紀夫前首相による普天間基地移設問題の迷走や、参院選における菅直人首相の迷走発言によって支持率が急落していたころである。当時は「自民でもない、民主でもない第三極」の付け入るスキがあった。

渡辺代表によるミッチー(父・美智雄元外相)譲りのキレのいい既成政党批判も有権者に受けた。さらに「みんなの党」という珍しい党名も柔らかい響きから、女性やリベラルな有権者の支持を集めた。2013年の参院選後には衆参合わせて36人の規模まで膨らんだ。

泥沼の抗争から解散へ


人気に陰りが見え始めたのは2012年に日本維新の会が発足したころ。メディアの注目は渡辺氏から維新の橋下徹大阪市長に移り、みんなの党の参議院議員3人が離党して維新入りを表明。同年の衆院選では18議席にとどまり、維新の54議席を大きく下回った。

みんなの党内には維新との合流を目指すべきだとの意見もあったが、翌2013年に橋下氏が「従軍慰安婦」発言で批判にさらされると、渡辺代表は維新との協力関係の解消を宣言。直後の参院選では共倒れが相次ぎ、その頃から江田幹事長との路線対立が表面化し始めた。

渡辺代表は自民党時代に閣僚として仕えた安倍晋三首相に近く、安倍政権の高支持率が続く中、首相との距離を利用して党勢を拡大しようと考えていた。一方の江田幹事長は民主の細野豪志氏や維新の松野頼久氏らと会合を重ね、野党再編のタイミングをうかがっていた。代表は与党、幹事長は野党と、ツートップが真逆の方向を向いていたわけだ。

しかし、それよりも大きかったのが渡辺、江田の2人が「人間的にソリが合わなかった」(元党関係者)こと。結党以前から2人きりで話すことはほとんどなく、対話が決定的に不足していた。自然と党内にも「渡辺派」と「江田派」が生まれ、新人議員の囲い込みが激しくなった。そして、江田氏らは党の財布を握る渡辺氏への不満を募らせていった。

2013年6月の東京都議会議員選挙のころに対立は決定的となり、渡辺は江田を幹事長から解任、江田に近い柿沢未途氏を離党に追い込んだ。そして同年12月に江田は13人の議員を引き連れて離党。柿沢とともに「結いの党」(後の維新の党)を結成した。

だが、江田派の離党でも対立が終わらなかったのがこの騒動のすさまじさだ。渡辺を中心とする残留組は江田以外の離党を認めず、議員辞職を要求して会派からの離脱を拒否。結いの党はしばらく国会で質問などの活動ができず、資金的にも厳しい状況に追い込まれた。

ところが、2014年3月に週刊誌が渡辺の巨額借り入れ問題をスクープ。渡辺は批判にさらされ、代表辞任を余儀なくされた。週刊誌の記事は渡辺に資金を提供した化粧品会社会長の手記だったが、「江田派による報復」との憶測が永田町を飛び交った。

党内の混乱は収まらず、衆院選の迫った同年11月にみんなの党は解散。直後の選挙で無所属の渡辺は落選し、今も浪人生活を続けている。

政党の感情的分裂は珍しくない


みんなの党に限った話ではないが、党勢が順調に推移している時は多少の感情のズレがあっても表面化することはない。しかし、党勢が衰え始めた途端に不満が噴出するのが政治の常である。

2012年に誕生した日本維新の会は大阪維新の会と太陽の党(旧たちあがれ日本)の寄り合い所帯で、政策も思想もバラバラだったが、党の運営が好調なときは波風もほとんど立たなかった。ところが橋下の慰安婦発言が物議をかもし、東京都議選で惨敗。参院選でも伸び悩むと東京組と大阪組の対立が激しくなり、後の分裂につながった。

結いの党と維新の大阪組とで結成した維新の党も、当初は江田と橋下の二枚看板が有効に機能した。しかし、2014年4月の統一地方選で苦戦し、5月の大阪都構想を巡る住民投票で否決されると風向きは一変。江田派と橋下派が公然と批判し合うようになり、これまた後に分裂することとなる。

民主党でも2009年に政権を獲得したころは立役者である小沢一郎がもてはやされたが、政権運営に行き詰まると小沢派と、その他の幹部との対立が激化。小沢が党を飛び出し、政権もあっさり崩壊した。小沢は自民党でも、新進党でも似たような分裂を起こしている。小沢には信奉者が多い一方、「顔も見たくない」と忌み嫌う政治家が多いのは有名だ。

安倍首相が復活を果たした2012年の自民党総裁選。当時は一度政権を放り出した安倍への批判が根強く、決選投票では石破茂が有利と見られていたが、石破がコミュニケーション下手なことから「石破よりはまし」という国会議員票が安倍に集中。逆転勝利となった。

「感情で政治が動くなんておかしい」と思うだろうが、これが現実である。さて、今年はどんな政治家たちが、どんな人間ドラマを繰り広げるのだろうか。
選挙ドットコム
山本洋一:元日本経済新聞記者
1978年名古屋市出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、日本経済新聞社に入社。政治部、経済部の記者として首相官邸や自民党、外務省、日銀、金融機関などを取材した。2012年に退職し、衆議院議員公設秘書を経て会社役員。地方議会ニュース解説委員なども務める。
ブログ:http://ameblo.jp/yzyoichi/


編集部より:この記事は、選挙ドットコム 2016年1月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は選挙ドットコムをご覧ください。


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