SEALDsなどの政治・社会運動に東大生がほとんどいない件。いわゆる偏差値の高い学生ほど大学教育を投資と考えていて、リターンに結びつかない活動を無駄と切り捨てると解釈すれば、腑に落ちる。過日年配の人に今のエリート学生には社会の不正をただす正義感はないのかと問われて思いついた。
— 山口二郎 (@260yamaguchi) 2016, 1月 18
山口二郎氏のツイートがいまだに話題になっているので、なぜ東大生が60年安保や全共闘運動のときのように街頭デモをしなくなったのか、ちょっと考えてみた。
この問題についての短い答は、シールズの頭が悪いからである。安保法制が成立してから、絶対少数の野党がそれを廃止するなどという運動が成功する可能性はゼロであり、それを街頭で支援しても何の意味もない。そんな運動に参加するのは、頭が悪い証拠である。
もう一つの原因は、左翼の劣化だ。50年代の「全面講和」運動の指導者は、東大総長の南原繁だった。60年安保の主役になった全学連主流派の執行部の多くは東大の学生であり、彼らには「反スターリニズム」という理論があった(ほとんどの学生は理解していなかったが)。そこからのちの日本を指導する政治家や学者がたくさん出た。
しかし60年安保のときでさえ、街頭デモが政治を変える可能性はなかった。自民党は絶対多数であり、世論調査でも安保条約の改正に賛成が一貫して多数派だったのだ。全共闘運動に至っては、その議長だった山本義隆氏でさえ、その目的が何だったのかわからないが、大学の管理体制を問うという問題意識はあった。
今回のシールズは、赤旗が「特定秘密保護法に反対する学生たち(SASPL=サスプル)が活動のテーマを広げ、自由で民主的な日本をつくるための、学生による緊急アクション(SEALDs=シールズ)を立ち上げました」と書いているように民青の別働隊だから、「反安倍」とか「憲法を守れ」とかいう無内容なスローガンしかない。
東大生がこんな共産党の政治的宣伝に乗せられないのは当たり前だが、彼らが政治に無関心なわけではない。たとえば言論NPOがやった東大生100人のアンケートでは、「支持政党なし」が44%だが、9割の学生が「投票に行く」と答えている。
彼らが「政治にもっとも解決してもらいたい問題」としてあげているのは、憲法でも安保でもなく、上の図のように、少子高齢化や財政破綻で自分の世代に負担が先送りされることだ。これは正しい認識であり、デモで解決する問題ではない。問題は、こうした不安に応える政党が与野党ともに一つもないことだ。変わるべきなのは東大生ではなく、政治である。