ネットで音楽の接し方はどう変わったの?(下) --- 中村 伊知哉

2016年01月28日 12:00

「音楽のコミュニケーション化」。これに関し、ぼくとの共著「日本のポップパワー」を記した小野打恵さんは、「あらゆるコンテンツのビジネスがコミュニケーション化して行く中で、デジタル化、ネットワーク化のインフラが重要であり、音楽は日本人も先導して、「コミュニケーション化」を進めてきた」と言います。
 
例えば、カラオケ。いまはエクシングと第一興商がリードするカラオケのビジネスモデルはデジタル化、ネットワーク化による「コミュニケーション化」。

DJ、DTM、ボカロに至る動きもそう。アナログレコードをスクラッチ等で再生「演奏」=二次創作するDJから、DTMによるデジタル音楽へ。そしてデジタル音楽からボカロへという動きは日本が本場。さらにこれは、音楽を聴いて楽しむ文化から、踊って楽しむ、創って楽しむ参加型の文化への変化であり、コミュニケーション化と言い換えられましょう。

さらに、モバイル化。ソニーのウォークマンから生まれ、ガラケー向け着うたフルまでは、日本がリードしてきたモバイル端末での音楽利用です。

「今、iOSに席巻されているように見えますが、ガラ携初期に打ち込み入力で個々のユーザ-が着うたを鳴らせるようにした、その楽しみ方をあらゆる家電等のボイス&ミュージックに入れていけば新しい市場が開けるように思います。」(小野打さん)

こうした音楽の消費、音楽への接近、音楽への参加に関する変化は、もちろん、音楽の制作やビジネスを激変させます。

日本の市場はアメリカと並ぶ世界ツートップを維持しているものの、先行きは不透明。音楽への支出が激減したとゼミ生が言うように、CD売上は激減し、ガラケー向け着うたで盛り上がった市場もスマホで終了、ストリーミング以後の市場はまだ見えません。ミュージシャンが食えない、音楽の質が保てないという声はひんぱんに聞きます。

音楽が映像やゲームの部品化し、音楽としての売上が見えにくくなっている面もあります。コンテンツのデジタル化とネット流通により、コンテンツ間の障壁がなくなりました。かつては、文字ならデバイスは新聞・書籍・雑誌、音声ならデバイスはラジオ・レコード・CD。動画なら映画・テレビ・ビデオ・DVDでした。

「コンテンツがデジタル化し、例えばニコ動を流れるボカロ楽曲は、もはや音楽なのか、動画なのか、文字なのか区別が出来なくなりました。また、ラジオをラジオで聴いたり、音楽をCDプレーヤーからスピーカーを通して聞く機会も減ったと思います。」(ある学生)

他方、ライブやフェスは元気で、コンテンツ=バーチャルから参加型=リアルへの重心移動が進んでいるのは周知のとおりです。

ところがこれに関しても厳しい観察があります。ぼくのゼミには日本を代表するイベント運営会社の役員がいるのですが、彼女は「ライブイベント、コンサートの数はこの何年かで確実に増えました。しかしレコード会社がPRとして赤字の補填をしてくれていた頃と違い、現在はライブで確実に黒字にしなければなりません。よって一つ一つのライブの制作の予算は昔より厳しくなりました。」と言うのです。

ネットやソーシャルメディアによるアーティストとリスナーとのエンゲージメント、ファン同士のコミュニティの深化は、音楽のビジネス構造を変えるだけでなく、アーティストの姿勢や表現活動も変化させるでしょう。

デジタル化によって、曲単位のスキップや頭出しができるようになったので、つまみ食い聴きが普通になり、サビ頭が流行りました。技術は音楽の表現自体を変えます。ネット化、ソーシャル化によって、ますます変わることでしょう。AIは音楽の自動生成、自動演奏をも促します。

ちょいと学生たちと議論しただけで、かように盛り上がる。これが音楽の魅力でもあります。

新しい技術によって、近くなった。接し方は多様になり、共有と参加が増えた。音楽を提供する側は、ライブや映像との融合を進めつつも環境は厳しくなっている。

ラフにまとめるとこんなところですが、今後、多様化、共有・参加、融合という路線どういう方向を進むのか。光は見えるのか。影は闇を増すのか。

ネットが普及し始めたころ、こんなことを業界のかたがたとよく論じていました。ストリーミングの勃興で、状況はまた変わります。改めて深掘りしてみよう、と思いました。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2016年1月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。

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