国際社会、とりわけ世界最大の軍事国家である米国が他国の核武装について、どういう態度を取って来たのか。インドは好例だろう。日下公人氏は、つぎのようなエピソードを語っている。
インドがどういう順番で原爆への階段を一歩ずつ上がったのか、私はインド人の顔を見るとそれを聞く。彼らが言うのは「本当に途中は苦しかった。世界中から孤立して、アメリカに反対されて、誰も応援してくれる人はいなかった。しかしできあがったら、なんと世界中がインド様々になった」と。アメリカの大統領もインドへ飛んできて「これから仲良くやろう」と言って握手した。NPT(核兵器不拡散条約)脱退などは死んでも許さないと言っていたのが脱退とほとんど同じことになる条件をつけて認めてくれた。
実際、この通りだった。最初、米国は強硬に反対する。時には「原爆で攻撃することも辞さない」と脅しをかける。中国に対してもそうだった。
毛沢東は「アメリカの原爆で1000万人や2000万人殺されてもいいのか」と脅しをかけられた。フランスのドゴール大統領が当時「そうなって心配ないのか」と毛沢東に尋ねると、毛沢東は次のように啖呵を切って、ドゴールを驚かせた。
「1000万人や2000万人が何だ。中国には10億人以上の人口がある。中国は核兵器を保有し独立国として他国の脅威にさらされないことの方がずっと大事だ」。
ドゴールは毛沢東の度胸を十二分に理解していた。第2次大戦後、フランス自身が、米国や西欧諸国にさんざん圧力脅されながら、核保有国への道を強引に突き進んだ経験を持っているからだ。
一度核保有を実現してしまえばどうなるか。米国も、そして他の核保有国もホンネはしぶしぶだろうが、同じ核保有国として「これからは仲良くやろう」と対等の姿勢で語りだす。先進国かどうかは関係ない。カギは核という軍事力を持っているかどうか。インドに対しても、パキスタンに対しても、そして最近のイランに対してもそうだった。
北朝鮮は核保有国に対するこうした米国などの姿勢の変化を十二分に研究してきた。どれほど自分たちが貧しくとも一度、核を保有してしまえば、もう自分たちは発言権を保持できるようになるのだと。
実際、今や北朝鮮は米国大陸を核の射程内に治めることがほぼ確実になっている。米国の都市が北朝鮮の核攻撃にさらされることはあってはならない。すでに米国はそう感じつつある。表面的には「断固、制裁する」と強気なことを言っているが、そこに本気の姿勢は感じられない。どこかで折り合いをつける交渉が始まるのではないか。すでにブッシュ大統領時代に、その空気があった。
核を保有しているか否か。保有する前に、米国やロシアに脅されようと、それに打ち勝つ度胸があるかどうか--。核保有を許されるかどうかは、各国首脳のその度胸にかかっていることを戦後の歴史は証明してしまった。
もはや核兵器不拡散条約(NPT)などはザル法であることが天下に示された。後生大事に守っている国はどこか。核兵器を保有できる技術を持っていない途上国か、先進国ならば日本である。
勉強ができる秀才が集まる外務省の外交官は典型例だ。日下氏は言う。
外務省にいる人は個人主義のオポチュニストなのだ。付き合えば付き合うほど、防衛や外交の関係者は、自分だけ逃げるのが専門で、国民を谷底に就き落としても平気だと分かる。
そんな外務省に任せて、日本の安全保障は大丈夫か。今、多くの国民がそう感じ出している。米国もギリギリまで日本の味方をしているようで、危なくなったらアッと言う間に日本を見放すのではないかと。
だから、日本は自力で核武装の道を切り開くしかない。
追伸:体調を崩し、長期休載していたが、少し体調が戻ったので、ブログを再開させてもらった。これまでのようには行かないが、1週間から10日に一度ぐらい、マイペースで記事を書いて行くつもりでいる。