「希望」が消え「不安」が勢いを得る時 --- 長谷川 良

ローマ・カトリック教会の声、バチカン放送(独語電子版)は9日、「米国カトリック教徒はドナルド・トランプ氏が大統領ポストには明らかに相応しくないと考えている」という内容の記事を送信した。これは、米カトリック保守派代表、ジョージ・ヴァイゲル氏とロバート・ジョージ 氏が米雑誌「ナショナル・レビュー」最新号で語った内容だ。

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▲米共和党大統領候補ドナルド・トランプ氏(トランプ氏の公式サイトから)

米国の著名なカトリック教徒のヴァイゲル氏は、「不動産王のトランプ氏は民族的な偏見や不安を煽っている。それらの主張はカトリック教徒の心情とは一致しない」と主張している。

米国内の大学で教えているゴーデハルト・ブリュントルップ 神父は、「トランプ氏は伝統的な保守的価値観を共有していない。しかし、米国民の中には今、憤り、不安が溜まっている。彼らはそれを社会上層部(エリート層)にぶっつけたいという衝動に駆られている。だから、抗議候補者を支持する。第一にはトランプ氏であり、その次はテッド・クルーズ氏だ」という。

同神父によると、「米国カトリック教徒は分裂している。民主党は避妊、同性愛問題、胚性幹細胞研究でも過激な立場を支持する。そのポジションはカトリック教義とは一致しない。だから、カトリック教会の価値観を重視するカトリック系保守派は共和党を支持することになる。しかし、大統領候補者ではマルコ・ルビオ氏はいいが、トランプ氏は良くないと感じている」という。

ちなみに、トランプ氏の爆弾発言の中でもカトリック教徒が最も反発を感じているのは、同氏が大統領に当選すれば、テロリストへの拷問を支持すると発言したことだという。

問題は、トランプ氏の発言に反発する声が多いのにもかかわらず、同氏は多くの支持を獲得していることだ。なぜか。ブリュントルップ神父は、「米国内には不安が社会全般を覆っている。特に、ミドルクラスの国民がその影響を最も受けている。そして不安が出てくればいつものことだが、外にスケープゴートを探すようになる。職場を奪うメキシコ人であり、中国人が彼らの怒りの対象となる。トランプ氏はその国民の心をよく理解しているから、シンプルな言葉で彼らの思いを代弁する。トランプ氏は卓越したポピュリストだ」と分析する。

「米国民が今、不安に襲われている」という同神父の指摘は興味深い。米国は軍事的、政治的には依然、最強国であり、米国に対抗する国は当分出てこないだろう。経済的にも欧州諸国と比べれば、失業問題もそれほど悪くない。ひょっとしたら、米国に流入し、国民から雇用を奪う移民問題が深刻かもしれない。社会の不安要因はそれ以外にもあるだろう。

しかし、不安が全くない社会などない。大国・米国も例外ではない。不安があってもそれを凌駕する希望が社会に満ちていたら、不安で社会が混乱したり、方向性を失うといったことは少ないはずだ。

米国には、実現できるか否かは別として、夢があった。誰でも努力すれば活躍の場が提供される、といったアメリカンドリームがあった。米国はその建国の歴史が端的に示しているように希望の国であった。

その希望の国で希望、夢が無くなれば、小さな不安でも社会の土台を震撼させる。社会に閉塞感が強まっているとすれば、深刻だ。ある宗教指導者は1990年代に「神が米国から去ろうとしている」と警告を発し、米国よ、神に帰れとアピールしたことを思い出す。ドル紙幣に神が記され、神の名は至る所で聞かれる。大統領選でも神の名は候補者の口から常に飛び出すが、その米国社会から神は去ろうとしている、ワイルドな資本主義社会が席巻する米国から神が遠ざかろうとしているというのだ。

オバマ大統領は我々は社会をチェンジできると公約して大統領職に就任した。その2期目の任期が今年末で終わろうとしている。どれだけ社会はいい方向にチェンジしただろうかと、国民は考えるだろう。

希望を失ってきた国民は今持っているものを守ろうと守勢的になる。既得の権利、資産、職場を奪われないために、時には攻撃的に出る。ブリュントルップ神父が語るように、トランプ氏は米国民の不安を誰よりも理解しているわけだ。

米国が保護主義に陥り、世界の動向に無関心となっていけば、米国はその活力を失っていく。世界もその影響を受けるだろう。米国民は今こそ、夢を描き、国民にその道を語り掛けることができる政治家を必要としているのではないか。その意味で、不安を煽るトランプ氏は次期大統領には相応しくない。現実を無視して希望を語る人は無責任だが、不安を煽る人はやはり危険だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年3月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。