【GEPR】小林よしのり氏の知らないリスクとハザードの違い

池田 信夫

これは2016年3月18日の記事の再掲です。

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小林よしのり氏が怒っている。「朝まで生テレビ」で、彼が「リスク」の概念を理解していないことを私が指摘したら、うろたえて何も答えられなかったことがショックだったらしい。

昨夜の朝まで生テレビでよしりん先生が「原発はリスクが極大になりすぎるんですよ」と発言したら、池田信夫が「それはリスクって言わないんですよ。
それはハザードって言うの! わかりますか?」と、せせら笑うように言いました。

はて、「リスク」と「ハザード」って、どう違うんだろう?

気になったので「日本国語大辞典」を引いてみましたが、どちらも「危険」と書いてあり、全然違いが分かりません。

彼には中西準子氏の本を読むことをおすすめしたい。そこにも書かれているように、リスク=ハザード×確率(頻度)だから、原発事故のリスクは交通事故より小さいのだ。彼女の調査によれば、化学物質によって失われる余命は次のようになる:

  • 喫煙:数年~数十年
  • 受動喫煙:120日
  • ディーゼル粒子:14日
  • ダイオキシン:1.3日
  • カドミウム:0.87日
  • 砒素:0.62日
  • メチル水銀:0.12日

リスクが圧倒的に高いのは、タバコである。砒素や水銀のような猛毒物質のリスクが小さいのは、それが厳重に規制されているため、摂取する確率が低いからだ。ところが多くの人は確率を無視して、1回あたりのハザードの大小で考える。

砒素1gとタバコの煙1gを比較すると、前者は致死量を超えているが、後者は何の影響もない。原発もハザードは大きいが、死亡の頻度は50年の歴史の中で60人。全世界で1年あたり1.2人で、その期待値は上のリストの最下位の水銀よりはるかに小さい。

これは大津地裁の山本善彦裁判官と同じ錯覚である。彼は「原子力発電所による発電がいかに効率的であり、発電に要するコスト面では経済上優位であるとしても、それによる損害が具現化したときは必ずしも優位であるとはいえない」という。これも原発事故のハザードをその発電所の発電する電力と比較している。

正しくは、原発事故のリスクは、全世界で原発を運転して発電される電力と比べなければいけない。そういう調査は多く、結果はどれも同じだ。先日も紹介したWHOの結論と同じく、原発のリスクが圧倒的に小さいのだ。OECD諸国では、死亡リスクはゼロである。


エネルギー源の死亡リスク(ギガワット年)出所:OECD

小林氏や山本氏のような素人が、リスクの概念を理解できないのは無理もない。日常的には、人は確率を考えないで、最大の被害を最小化しているからだ。たとえば鍵をかけないで家を出ても、泥棒に入られるリスクはきわめて低いが、万が一入られたときの最大の被害を最小化するために鍵をかける。

それは個人の意思決定としては正しいが、社会全体では不合理な政策をもたらす。東京都民の直面している最大のハザードは、首都直下地震で2万3000人が死亡することだ。これをゼロにするためには、政府がすべての東京都民に首都圏からの退避を命じる必要がある。

もちろん現実には、そんな政策はありえない。都民は地震で死ぬリスクをとって暮らしているのだ。ハザードを小さくする必要はあるので、ビルの耐震設計基準は強化され、都は防災対策に多額の予算を使っているが、その目的は死者をゼロにすることではなく、リスクに対してコストを最適化することだ。

このリスクとハザードの混同が、大津地裁から小林氏に至る錯覚の原因だ。ほとんどの人々がそう錯覚しているので、マスコミもそれに迎合して原発のハザードを誇張し、その確率を考えない。原子力規制委員会も「確率論的リスク評価」をすることになっているが、その確率を算定しないでゼロリスクを求めている。原子力をめぐる混乱の原因は、このリスクとハザードの混同につきる。