真理と革命

森信三先生は「学問観を支える二大支柱」として「真理は現実の唯中にある」、及び「真理は現実を変革する威力をもつものでなければならぬ」という二点を挙げられると共に、また「これを二宮尊徳と毛沢東から学んだ」と言われているようです。

森先生の書を読んでみるに先生が、ふっとした時「真理は現実の唯中にある」と悟ったということ、並びに「民族の代表的巨人の一人」とする二宮尊徳翁より多くを学んだということ、は極めて確かであると思います。

但し森先生が、毛沢東から「真理は現実を変革する威力をもつものでなければならぬ」と学んだということは、小生の持つ先生に対する認識に必ずしも一致しないものであり、同時に此の支柱に関して我々は注意を要するよう私には思われます。

凡そ革命を達成する、換言して現実を大きく変えるとなれば次の二点、理論的支柱そして歴史観が必要となります。毛沢東の革命で言ったらば、大変な読書家である彼は中国古典を猛勉強することで歴史観を身に付けて、一方で理論的支柱をマルクスレーニン主義という一つのイデオロギーであり、一つの思想であるものから学びました。

毛沢東は上記二点を満たしたからこそ、ある意味革命を成功裏に収めることが出来たのです。つまり「革命は思想なくして起こらない」ということです。マルクスレーニン主義の是非は兎も角、少なくとも当時は之が理論的支柱になったわけです。

しかし当該思想は、嘗て東欧の社会主義国家が次々崩壊して行ったように、歴史の中で否定され駄目だという烙印を押されました。また、毛沢東が凍餒(とうたい)の苦しみに遭う沢山の国民を飢えを凌げる体制に持って行ったとは史実であります。そういう意味で一面正しかったと見られる時期は、ある意味あったと言えるのかもしれません。但し、そこに普遍性は無かったということも、之また証明されたのではないかと思います。

森先生の「学問観を支える二大支柱」の一つ、「真理は現実の唯中にある」とは言うまでもなく普遍性を有しています。しかし「真理は現実を変革する威力をもつものでなければならぬ」の方は、前記したマルクスレーニン主義のような似非真理までもが時に強烈な威力を持ち得るわけで、その普遍性に対しては我々は常々きちっとした認識を持っておくべきでしょう。

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