さらば三菱自動車!-なぜ不祥事を防げないか --- 山岡 鉄秀

寄稿

三菱自動車がまたやってくれた。今度は燃費の偽装だという。三菱自動車といえば、2000年、2004年と組織的なリコール隠しが発覚したばかりか、2002年には走行中のトレーラーの車輪が脱輪し、母子3人を死傷させた事件が衝撃的だった。

私を含め、もう三菱自動車は要らないと思う方も多いと思うが、同時になぜ三菱グループの一角をなす大企業があからさまな不祥事を防止できないか不思議であろう。相川哲郎社長は記者会見で「全社員にコンプライアンス意識を徹底することの難しさを考えている」と発言したが、そんなことは全ての企業に共通の課題だ。普段から「統制、統制」と重箱の隅をつつきながら、あっさりと不正を許すのはなぜか。その答えは、企業文化(コーポレートカルチャー)に起因する構造的問題だと私は考える。

このニュースに触れた時、三菱グループの海外法人で現地社員として働いた経験がある友人から聞いたエピソードが脳裏に蘇った。友人が日本の事業本部に出張し、管理部門責任者とミーティングした際の話である。責任者が友人に言い放った。

「社長が不祥事を起こしたら、あんたも同罪だよ」

そこで友人が「そうですか、それではこういう問題があります」と具体例を挙げると、

「そりゃ深刻だなあ。でもあいつはウチの人間だから、なんとか助けてやりてえんだ」と耳を疑うような答えが返って来た。

現地採用社員として、明らかに「ソト」に置かれてしまった友人が、「現地の弁護士は、独禁法に触れる可能性があると言っていますが」と説明すると

「弁護士のアドバイスなんてアドバイスに過ぎないよ!」と遮られたというのである。

この瞬間、友人は「ああ、欠陥や不正を告発した社員が組織の敵と見做されて、降格されたり左遷されるという話は本当だったんだ」と直感したという。

要するに、表面上は「統制だ、コンプライアンスだ」と騒ぎながら、実質的には「村社会の掟」が隠然と優先され、身内をかばおうという動機が本能的に優先されてしまうのだ。リコール隠しにせよ、燃費改ざんにせよ、組織的に隠ぺいしなければ隠せるわけがない。つまり、指示した個人がいたとしても、その指示に唯々諾々と従った社員がたくさんいたということだ。

うっかり正義感で反対しようものなら、左遷かクビになりかねないから、皆保身のために下を向いて見て見ぬふりをするか、協力せざるを得ない。「本音と建て前」の古臭い二重規範が存在しているので、義憤に駆られた誰かが外部に告発するまで不正を防ぐことができないのである。このような構造的問題は、どの企業にも大なり小なり存在するものだが、三菱自動車では特に顕著だということだろう。外圧が無い限り、身内の正義が優先されてしまうのである。この意味で、脱輪による死亡事故は、組織的殺人だと言っても過言ではない。ご遺族のお気持ちを考えると、今でも胸が痛んでならない。

このような組織に染みついた古い体質がグローバル化を妨げ、海外のライバルに勝てない理由にもなっている。その古い体質はいたるところに散見するのだが、内部の人間には認識できない。たとえば、社内独特の用語が存在する。自分の事を「下名」と表現し、社内の人間を呼ぶときは「山田部長殿」と表記する。三菱自動車OBの方にこの習慣は「旧帝国海軍の伝統の継承」だと聞いたことがあるのだが、社外の人間になるやいなや、一夜にして「山田様」という世間一般の表記に変わるという。つまり、これら独特の表記は、「身内」と「よそ者」を峻別する記号に過ぎないのである。グローバル化とは、ひとことで言えば、「ウチとソトの違いが希薄になること」だから、その真逆を一生懸命に励行しているわけだ。最も国際化に適しない社風だと言える。

さらに困ったことは、この強固に根付いた企業文化に奇妙なプライドを持っているから、疑問を持たずに順応する人間ばかり採用してしまう。結果として、時代に背を向けたような内向きの企業文化が継続的に強化されることになる。このような企業におけるエリートとは、このような文化を積極的に肯定する人間である。そのことを痛感した経験が私にもある。

ある日、三菱グループ企業の幹部候補生と食事をしたのだが、そのエースと目される彼が私にこう言ったのだ。

「うちの会社では、突出した人材というのはダメですねえ」

私は内心嘆息していた。さすがに彼に言えなかったのだが、海外のライバル企業は、それこそ「突出した人材」をかき集めることに躍起になっているのである。その才能豊かな人材が切磋琢磨する中から、様々なイノベーションが生まれてくる。幹部候補生なら、自社の閉塞的なカルチャーを打ち破る気概を持って欲しいものだが、そういう人は逆に出世できないと彼自身が言っているようなものだ。海外のライバル企業に追いつけないのはこういうところにも理由がある。

三菱自動車が特に顕著なのは明らかだが、グループ全体に類似した構造があり、それが時々「有り得ない不祥事」の発覚や、グローバル化の顕著な遅れの背景になっていると考える方が自然だろう。このように、内向きの企業文化で自己完結してしまう企業は、海外で「セクハラ、パワハラ、不当解雇」などで訴えられるようなことを平気でしてしまう傾向が強い。そういえば、三菱自動車は1990年代に北米でセクハラ問題で訴えられて、膨大な慰謝料を払わされた。

あの時は同情していたが、今となっては、「さらば三菱自動車、もはやこれまで」というのが偽らざる気持ちだ。

オーストラリア・ジャパン・コミュニティネットワーク(AJCN)代表 山岡 鉄秀