英国に学ぶ超競争社会での大学教育の在り方 --- 平 勇輝

寄稿

もしも大学の授業料が、在籍する学生の満足度や講義内容の質に応じて決められるのだとすれば、高等教育はより良いものになるのでしょうか。日本の最高学府と謳われる東京大学や、iPS細胞に関する研究で一気に知名度を上げ、最新のQS世界大学ランキングで日本トップの座を奪った京都大学の講義内容の質や学生達の満足度が他の大学よりも高いという理由で、両大学が年間授業料の値上げを決めたとすれば、その判断は不合理だと非難されるべきでしょうか。それとも、両大学の更なる発展と競争率向上に寄与する貴重な資金源になると支持されるべきでしょうか。

急速なグローバル化の進展に伴い、国際的な大学間競争は過激さを増す一方ですが、こうした大競争時代を生き残るために、大学はどこまで学生やその保護者に経済的負担を強いるべきなのでしょうか。大学の授業料の高騰は、日本国内でも度々話題になりますが、同様な問題は、世界的な影響力を持つ大学を数多く有する米国や英国でも深刻化が進んでいます。この話題に関連して、先日、英国政府が示した改革案が相当な物議を醸し出しました。

20年前は無料だった大学教育が年額120万円に

英国では、1998年に労働党政権下でイングランド国内の大学を対象に、年額1000ポンド(当時のレートで約22万円)の授業料が導入されて以降、後に施行された高等教育法により2006年には年額3000ポンド(約64万円)、更に4年後の2010年には保守党主導の下、年額9000ポンド(約121万円)にまで押し上げられてきました。

少し補足を加えますが、この9000ポンドという金額は、年額9000ポンドまでの範囲であれば各大学の裁量で授業料を自由に決めてもいいという上限を定めたものです。とはいえ、殆どの大学が上限一杯まで授業料を引き上げているのが実情です。

ジョー・ジョンソン大臣によって明らかにされた今回の改革案によれば、早ければ来年秋にも高品質な教育を行っている大学であれば、年額9000ポンド以上の授業料の設定が認められることになります。英国政府の発表によれば、今回の改革案は、より質の高い教育を学生に提供することを条件に授業料の上限撤廃を認めることで、学生の満足度向上にも繋がるとしており、大学間の競争を促すことで、顧客である学生から見た大学教育の価値向上にも貢献するものだとしています。

また、同大臣は、今回の改革案について「ポテンシャルを持つ人々全てが、出身地や身分にかかわらず、幅広い高品質な大学群の中から適切な情報を基に最も適切な大学を選択をし、最高の教育を受けられることによって、彼らの将来に向けた準備の手助けをするものである」と前向きに受け止めるコメントを出しました。

英国政府は今年中にも、どの大学を授業料上限撤廃の対象とするか策定していくとし、今後、継続的に各大学の教育水準を計る新たな枠組みづくりにも取り掛かると既に発表しています。

当然、保守党政権による一連の授業料の更なる値上げの動きに学生らは激しく反発しており、2010年以降、毎年のように発生している学生デモが更に過激化することが懸念されています。

フェイスブックやグーグルに独自の大学を作らせる

更に、同改革案には、高い教育水準を維持できる限り、既存の大学以外の組織にも学位授与権を付与させるといった提言も盛り込まれており、このような提言に対し、全国学生連合の副代表であるソラナ・ビエル氏は、「極めて深刻な懸念を表明する。厳格な基準を設けないまま、新たな学位授与機関の創設を認めることで、学生が法外な請求に遭うリスクがある」とコメント。労働党のゴードン・マーズデン氏も同提言に対し、「急速な新たな学位授与機関の設立を認めれば、適切な管理が行き届かない」と警告しました。

保守党議員らの中には、フェイスブックやグーグル等の民間企業に独自の大学を設立させるよう促すことで、特定の産業セクターでの人材不足に対応することができるのではないか、といった意見を述べている議員もおり、今回の大学改革案が、単なる授業料改正に関するものに留まっていないことがより明らかになってきました。

英国の大学で学ぶ学生達にとって、最も心配なのは、授業料の上限が撤廃されるということは、事実上これまでの授業料の値上げとは異なり、教育水準に釣り合っている限り、事実上授業料に制限がないという点と、どの大学が授業料上限撤廃の対象となるのか、その詳細が未だに発表されていないという点です。加えて、昨年まで配布されていた低所得世帯の学生向けの大学進学一時金も既に廃止されており、今後、所得が少なくても学力のある学生らが名門大学への進学を諦めるケースも出てくるかもしれません。

民間企業に独自の大学を作らせるように政府が働きかけるとは、なんとも保守党らしい正に新自由主義的な提案なのかもしれませんが、お金持ちでなければ良い教育を受けられないという制度になってしまえば、英国の高等教育大国の栄冠もいずれは廃れてなくなってしまうような気もします。もっとも、日本がこの後に続く可能性もないとは言い切れないわけですから、対岸の火事だと思わない方が良いのかもしれません。

平 勇輝(たいらゆうき)・ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校法学部犯罪社会学部所属、ロンドン大学キングス・カレッジ校国際安全保障研究センター非常勤研究員

(注釈)英国政府が発表した今回の改革案は、イングランド国内の大学が対象であり、スコットランドやウェールズの大学は含まれていません。年額9000ポンドという授業料は、イングランド国内の大学で学ぶ英国国籍の学生の場合であり、ヨーロッパ等の国外からの留学生は外国人向けの授業料が適用され、平均でも約15000ポンド(現在のレートで約240万円)支払う必要があります。また、イングランドでは各大学が政府より指定された上限までであれば、授業料を自由に設定できるといった権限があります。