水素ステーション国策会社は第二の満鉄になる

2016年5月30日の日経新聞1面トップで、トヨタ自動車やJXエネルギーなど自動車・エネルギー大手各社が、次世代エコカーの燃料電池車に燃料を供給する「水素ステーション」の全国展開に向け、共同で新会社をつくる検討に入ったと大々的に伝えています。

これは、経産省が15年度までに国内で100カ所の水素ステーションを開設する目標を掲げてきたにもかかわらず、設置は個別企業の自主性に任せていて、一カ所の設置費用が4億円にも上るため、まだ80カ所ほどにとどまっていることに対するてこ入れ策です。政府は当該会社には、出資はしないものの、設置や運営のための「手厚い補助金」を支給して、「新会社を支える。」ということです。

この「オールジャパン」アプローチは、かつての「大本営あるいは関東軍」が主導した「国策会社満鉄」の負の側面を感じ、多大な懸念を覚えます

今、グローバル経済からIoTを伴う地域シェア経済へのパラダイムシフトが起きています。「Uberなどのシェアアプリと自動車販売事業の融合」「分散化する電気事業のパーツとしての自動車」「自動運転とIoT化の中での自動車」といったように、自動車の概念が大きく変わり、「水素」よりは「電気」がその核になっています。

このトレンドの特徴は、タクシーなど既得権業界の規制撤廃、ベンチャーの百花繚乱による混乱(カオス)のなかでの市場での淘汰からの適者生存、物的所有欲の超越です。結果して公共投資を伴わない構造改革に繋がります。

一方、日経新聞が後押しする水素国策事業は、水素を遠く離れた外国で生産し、水素を液化し、特殊なタンカーで日本の港に運び、巨大な水素基地を作り、パイプラインを作って、一台4億円もする水素ステーションを展開するという巨大箱もの事業です。巨額な公共投資と権益がうごめきます。

まるで一昔前のグローバル経済モデルの再来を目指すという、時代の流れへの逆行です。私は、ここで急に出てきた「官民合作の国策会社」は、かつての満鉄や大本営が陥った過ちを繰り返すように思えて成りません。以下その問題点をあげます。

遂行責任主体が不明確

「官が多大な補助金で支えるが、複数の民間企業が経営する会社が主導」では、権限と責任が非常に曖昧になります。誰が執行責任をとるのでしょうか?民間企業は最悪倒産して株主が責任を取るだけですが、補助金を相当投下していくのですから、納税者に対して説明責任があります。また、本来だったら電気自動車を推進していたら国際競争に打ち勝っていただろう機会利益の遺失分もあります。

社会利益よりも業界利益の保護に陥ったとしたら、その行政の責任は多大ですが、この国策会社、あくまでも民主導なので、行政は裏方でフィクサー役に廻ります。この権限の二重構造は非常に危ういものがあります。

本来「行政の暴走」を止めるのは「国会の野党」なので、民進党の皆様にはここのところを大いに勉強してもらいたいと思います。

撤退の判断基準が不明確

旧日本軍が戦況が明らかに不利になっても、戦力の逐次投入をすすめ、壊滅しました。新たに事業を行う際には、企業体や国体に深刻なダメージをもたらす前に、撤退することを関係者の間で予め合意しておく必要があります。ましてや、電気自動車に集中する中国や米国などと真逆の方向に舵を切るわけですから、常に相手と自分の客観的な戦況分析をし、どのような状況に至れば撤退するかの基準・ポイントを予め明確に設定しておく必要があります。今の所「未来=水素社会=是」というスローガンありきで、そのようなビジネスマインドは見受けられません。

大企業がベンチャー事業を主導する矛盾

ここ30年、斜陽に陥った大企業が新規事業を立ち上げるというのがトレンドと成っています。例えば、新日鉄が釜石で魚の養殖事業をして大失敗しました。何故失敗するかというと、会社組織や社員のマインドが「寄らば大樹」の安定志向、プライドが高くドブ板営業が出来ない、企業の中での権限と責任が不明確なこと。だから、大企業がベンチャーを行うのは相当な覚悟が必要です。そのハンディを自覚しなければ勝てる戦いにも負けてしまいます。

自社の強みを護るため新規市場を形成するという真逆の発想

そもそも「水素社会」を推進する各民間企業は、自社の強みが市場の変化でじり貧で弱体化することを防御するため、新規市場を創設するという発想を持っているように見受けられます。石油元売り会社やガソリンスタンドはEV化によってガソリンが売れなくなる危機感から、自動車会社は、EV化によってエンジンというメカが不要になって、スマホのように誰でも参入できてしまうようになるという危機感から、このモデルを押しているようです。

自分たちが栄華を誇ったAというビジネスから、市場が自分たちを必要としないBというモデルに移行する兆しに危機感を覚え、代わりにCというモデルを提案する。それでは、Cというモデルを死守するポジショントークに陥るのは火を見るより明らかです。

民間企業が、保身に走り、結果自滅するのは致し方ないですが、国民の血税を負け戦に注ぎ込み続け、さらに世界のトレンドの日本での興隆を「消費者保護の名目」で規制緩和を行わずブロックする行為をもし行政が行うのであれば、そこには厳しい監視が必要です。このあたりは是非、「真の消費者の味方」河野太郎先生にお出ましいただきたいところです。

日本では「不都合な真実」としてあまり知られていませんが、もともと燃料電池車は70年代のオイルショック時にアメリカの自動車会社の雄GMが開発して頓挫、その後ブッシュ政権時にエキセントリックなDOE(Department of Energy、日本のエネ庁)の長官がごり押ししてフライしかけたのだけれども、やっぱりスペックと価格の折り合いが付かず、頓挫したという歴史があります。今カリフォルニア州でも一部で燃料電池車を押す動きがありますが、主流はEVです。

従って、役所が生き残るべきテクノロジーについて、市場の淘汰に任せないで、斜陽産業の保護や国策プロジェクトを所管する「大きな政府」を指向するために、EV外しのポジショントークをするのは決して許されることではありません。役所は、テクノロジーには中立的であるべきです。欧米ではそうです。もし日本が「官民あげて」水素のみにベットするならば、いきつくところはガラパゴスです。

Nick Sakai  ブログ ツイッター