巨泉墜つ

新田 哲史

どうも新田です。早稲田の大先輩である大橋巨泉さんが亡くなられたとのニュースを聞いて、学生時代まで巨泉ファンだった私としては、胸に去来するものがありました。 きょうは諸業務で時間がないので、合間にざっと書かせていただきます。

巨泉さんがテレビ司会者として全盛期だった頃をリアルタイムで覚えているのは、アラフォーの僕くらいまでの世代だと思いますが、いまの30代以下の方に説明すると、近年で言うみのもんたさんばりの豪快さに加えて、堪能な英語力、国際感覚、知的な魅力を兼ね備えた方でした。

10代から語学学校アテネ・フランセに通っていて英語は堪能だったので、早稲田政経の入試の英語は開始早々に試験官に「もう終わっちゃったんですけど」と答案を渡したら、満点(?)の回答に試験官が唖然としたとかいう伝説があるくらいの、突出した存在でした。それでありながら自らテレビ番組で「高校の卒業入試はカンニングだった」と告白するくらい、数学が苦手。

早稲田入学早々、物理だかの自然科学系の一般教養科目が必修単位と知って卒業を諦めるという、超文系ユニークで、お茶目な一面もありました。私も高校時代の学研テストで「数学0点だったけど英語と国語の得点だけで3教科校内2位」をやらかしたことがあるので、巨泉さんに憧れたこともあったのを思い出します(なんじゃそれ)。

田原総一朗さん、先日亡くなられた永六輔さんらテレビ草創期の頃から活躍し、頭角を現してきた方々の特徴というのは、裏方として番組を企画した経験があり、やがてタレントとして表舞台にも立つようになったところでしょうか。田原さんは岩波映画勤務、テレ東ディレクター出身、永六さんも放送作家出身ですが、巨泉さんも放送作家を振り出しに司会者業へと転身。やがて「11PM」で深夜番組というジャンルを打ち立てていくわけですが、テレビの制作現場が高度化して役割分担が細くなった現在にはない「クリエイター&プロデューサー&司会」というマルチスキルを培う環境にあったのだと思います。

そういう意味では現在のネットメディアは草創期のテレビに似た環境かもしれませんが。

話を戻すと、学生時代、大隈講堂に巨泉さんが講演したので、前の方で聴きました。「クイズダービーの元ネタは、カナダで同じような番組があったんだけど、元ネタの番組は視聴率不振で3ヶ月でポシャっちゃったのをアレンジしたら大成功した」「駄目になった企画はなぜか、それを分析して自分流にアレンジしてヒットさせるのは得意だった」的なことを話されたのを今でも覚えています。 値段を当てるクイズ番組「世界まるごとHOWマッチ」もたしかそんなアレンジで生まれたんじゃなかったろうか(この番組のナレーションは若き日の小倉智昭さんです)。

2年前、アゴラの夏合宿に田原さんが「フリーで食べていくには企画力が重要」と力説されていましたが、そんな話と巨泉さんの生い立ちを改めて振り返ったところです(ちなみに今週末の合宿で田原さんと登壇いたします、汗)。

その講演の折、自民党を始めとする各党から何度も出馬を持ちかけられていた話を暴露していたを思い出すんですが、その頃はもうセミリタイア状態でしたので、その数年後、2001年参院選に出馬した時には本当に驚きました。思わず一票入れちゃったんですが(苦笑)わずか半年で議員辞職しちゃった時には、正直がっかりしてしまいました。

「自分は投票する時は、権力チェックの意味で必ず野党に入れる」と週刊誌の連載で書いておられましたが、その意味では、「正論はいうが実務・実行力に弱い」戦後成長期の都市型リベラルを体現していたようにも思えて、その極めて個性的な生き方は、勉強になるところも反面教師になるところも両方ある早稲田の大先輩でした。

機会があれば、一度お目にかかってインタビューしてみかったです。ご冥福をお祈りします。