超高齢化社会で政治家が二枚舌になる理由

2016年07月23日 07:00

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何故、政治家の言動の「二重基準」が横行してしまうのか?

インターネットが普及して政治家やジャーナリストの過去と現在の言動の整合性が簡単に取れる時代になりました。そのため、その場しのぎのポリティカルコレクトネス(政治的に正しい発言)を繰り返してきた、ポリコレ人間が政治家を続けることは極めて困難な状況になってきています。

筆者は上記のようなネット社会の進展とともに、超高齢化社会も政治家の言動の二重基準が発覚する原因だと思っています。

人生は非常に複雑怪奇であって誰もが聖人君主のような生活を送れるわけではありません。したがって、叩けばホコリが出ない人物など一人もいないと思います。

しかし、超高齢化社会では「政治家が極めて長期間在職することが可能になる」、または「著名な有識者とされている人の賞味期限が長くなる」という現象が起きてきます。これらの人々も若い頃は純粋な気持ちで活動していたかもしれませんが、酸いも甘いも知る大人になるプロセスで様々な誘惑にさらされることになります。

そして、彼らが高齢者の年齢に達する頃には何らかの人生の失敗を抱えることになるのは当然なのです。しかし、問題は超高齢化社会においては「高齢」の域に達したとしても、現役と同じように「社会的・政治的に正しい発言を求め続けられるようになる」ということです。人生はそんな単純じゃないよーと腹で思っていても、表では清廉潔白な人物を演じ続ける必要があります。

これはある意味拷問のような作業ですが、若い頃にそれで飯を食べてきた人が高齢になった場合に今更止められるわけもありません。ご愁傷さまとしか言いようが無いのですが、それこそ自己責任ということですね。

そのため、自分の人生を振り返れば自分自身の過去に刺さってしまうような発言であったとしても、相変わらず表舞台で発言を続ける必要があり、その人物が「公人」として活動しようものなら一気に自己矛盾が表出化することになります。

政治家の「期間制限」を社会的に導入していく取り組みが必要である

公人、つまり政治家の過去の発言との整合性が簡単に取れてしまうことは、有権者にとっても良い面と悪い面があります。

良い面は言動の整合性がある信頼できる人物を選べるようになるということ、悪い面は投票で選ばれたはずの政治家が言動の二重基準を突かれて簡単に辞任するようになること、です。悪い面は良い面の裏返しと考えることもできるのですが、せっかく選んだ人間にコロコロ辞められても有権者も困ってしまいます。

そこで、最低限のこととして、政治家が多選を繰り返して長期間の在職が出来ない文化を作っていくことが必要だと思います。超高齢化社会では、政治家が何十年も議席にしがみ付くことが常態化して腐敗が生まれるとともに、当人の人生や社会の進展に合わせて言動に矛盾が生まれてしまうからです。

米国においては、The Term Limitsと呼ばれる草の根団体が存在しています。同団体は議員の多選による腐敗の蔓延を防止するための措置として始まった市民運動です。「政治屋ではなく市民のリーダーを!」が彼らのキャッチフレーズです。

具体的には議会議員選挙に出馬する候補者に最長2期で辞任することを署名で約束させて、WEBでその模様を公開するということが行われています。政治家自らから在職期間についての言質を取ることを通じて有権者との間で約束事を決めるのです。

一方、見方によってはThe Term Limitsは腐敗に塗れて何期もやりたいという議員を除けば、議員から見ても8年以内に議員を公に辞める口実を作ってくれる都合が良い仕組みとなっています。つまり、政治家にとっても職を辞めるタイミングを逸して延々と自己矛盾を抱えながら生活していく辛い人生から解放してくれるメリットがあるわけです。

首長などでも多選自粛を口にする人々がいても、日本では平気で約束を破る人も多い悲しい現状がありますが、米国ではこの約束を違えると同取り組みを信頼している人々からの支持が失われた上にネガキャンなどの社会的制裁が下されることになります。

そもそも政治家は若い人がやっていく仕事になるかもしれない?

情報化社会は過去の言動のログを簡単に取ることができること、そして人間は聖人君子のような暮らしを続けることは極めて難しいことを考えると、これからの高齢政治家は極めて難しい立場に置かれることになっていくでしょう。

少し前までならインターネットで過去ログも溜まっていないので、高齢政治家も過去の発言との整合性をしつこく問われることはありませんでした。自分の過去を棚に上げて言いたい放題していても、過去との矛盾を突かれて老醜をさらすことはなかったのです。

しかし、現代社会で活躍してる人々は既に過去ログの山を公文書その他を問わず積み上げている現状です。この人たちが高齢者になったあとに選挙に出よう・政治家を続けようと思っても過去の言動の記録がそれを許さないケースが増えると思います。

そのため、政治家という極めてクリーンさが求められる仕事に関しては、薄汚れた要素が相対的に少なく、二重基準で攻撃されにくい若い人が担っていくことになるかもしれません。もちろん本人次第のところがあるので不倫育休議員のようにあっさりと二重基準でペケがつく人もいるわけですが・・・。

いずれにせよ、政治家がどのような人物になるべきか、ということについて、候補者本人や政党が勝手に決めて有権者に提示する流れではなく、もう少し社会の側からコントロールできるようにしていかなくては、現在の不安定な政治状況は改善されることは無いでしょう。

政治家を批判することは当然のこととして、私たち自身の政治へのアプローチも変えていくことが必要です。

老醜の記 (文春文庫)
勝目 梓
文藝春秋
2010-02-10

 

 

 

 

 

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