大手と中小企業、その良し悪し

岡本 裕明

ビジネスもののドラマにでてくる立派なオフィスビル、広くてにぎやかな社食、最新のセキュリティシステム完備といった設備はいかにも儲かっていそうな大会社のイメージそのものです。そこで会議となれば役員や部長がふんぞり返って部下の報告を頭ごなしにコケにするシーンにしばしば遭遇します。多分、事実もさほど変わらないのでしょう。

有名企業の役付の人はそんなに偉いのかといつも不思議に思うのですが、年功序列、肩書重視の日本社会に於いて上の言うことは絶対服従であるわけで折角若い社員がよいアイディアを持っていても無視されるか「お前が言うのは100年早い」と叩かれるのが関の山でしょうか?

ところが外部の人間からすると大手企業の社員は担当範囲が狭いため、こちらの質問に答えられないことも多いものです。「その件は別の部署でやっているので調べてから返事します」などというのは日常茶飯事であります。

某日本自動車メーカーの技術者だった人に「今度発売される例の車だけど」と聞けば「すみません、私はエンジンのごく一部のことしかやっていなかったので販売される車の件は全然わかりません」と。ではエンジンに詳しいのかと思い、「このエンジン音なんだけど異音だろうか?」と聞けば「そういうのは分かりません」と返されました。いったい、何ならわかるのだろうと疑問がわくと同時に大手企業に勤めている人材は何が優秀なのだろうかとずっと考えさせられています。

個人的には大手企業に務める社員は潜在的レベルは高いのだろうと思います。厳しい入社試験を乗り越えたその意味は履歴書がそれなりに美しく、受け答えもしっかりしていたからこそ入社できたとも言えます。

次いで日本でも海外でも大手企業の特徴は社員教育に異様に力を入れるということでしょうか?私が某上場会社に入社した際には驚くなかれ3か月間英語学校に突っ込まれたのです。百数十名の新入社員全員です。朝9時から午後5時まで英語学校で英語の勉強だけなのにちゃんと給与は満額貰えましたし、6月の初めてのボーナスは寸志のような50000円を貰ったのが強烈な印象でした。大企業だからこそできる余裕だと思います。

当時、その会社で優秀な人材はアメリカのMBAに社費で毎年1-2名送り込まれていました。太っ腹だなと思ったのですが、これはある時パタッとなりました。理由はMBAを取って帰国した人材はその後誰一人会社に残らず、退社していったからです。

さて、中小企業の社員は何が違うかと言えばマルチプレーヤーが多いこと、社員を皆知っていること、何処で何が起きているのかある程度は把握している点でしょうか?全体を把握したうえで自分がその中でどんな位置づけの仕事をしているのか理解することは意味が深いものです。大手企業の場合は「会社が決めたことだから」という説明にならない上司からの指示が飛ぶことが多いのですが、中小はそれなりになぜに対する答えは出されることが多いのではないでしょうか?

東大ベンチャーなるものが話題になり優秀な人材が企業に務めず自分のビジネスを立ち上げる流れが注目されています。私が大学生の頃に学生ベンチャーが流行ったことがあり、孫正義、重田康光、折口雅博の三氏がその走りだったと記憶しています。一番目立ったジュリアナの折口さんは最近どうしたのか耳にしませんが、重田さんは株式市場でかつて20日連続ストップ安の珍記録を作った光通信でしっかり足場を築いています。

私は大手社員の才能はもっと引き延ばせるのではないかと思っています。大手の組織はとがったものを丸くする役割を果たしています。巨大な共同体ほど皆が同じ方向を向くきれいな形になりやすいのは上司の査定が気になるからでしょうか。しかし、これは実にもったいない気がします。

最近はジャスダックなどから面白い企業が生まれてきています。一方大手は挑戦に対する失敗を必要以上に恐れているように感じます。これは上司が踏み出すことで責任を取ることを恐れているようにみえます。ジャスダック企業のように組織がまだ巨大化していない会社は創業者が全体を見渡しリスクテイクを判断できるところに強みがあるとも言えます。

大手も信賞必罰をもっと明確にしていかないと何もしないことに意義があるといわれ続けてしまいかねません。むしろきらりと光る中小に優秀な人材が流れかねないとも言えそうです。

では今日はこのぐらいで。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 8月11日付より