サミット歴代参加者全員が生まれながらの国民

八幡 和郎

二重国籍はいけないが、生まれながらの国民でなくても首相になって良い、それに反対するのはレイシストだ、とかいう人がいる。もちろん、日本国憲法で帰化人、国籍選択者にも平等になる権利があるわけだから、それを法的に否定する理由はない。

しかし、生まれながらの国民であったほうが良いと思うことは、なんら人権問題でない。地方の首長選挙で地元出身が好ましい、企業の社長選びでプロパーが好ましいと思うのが人権問題だなどと聞いたことがない。

それでは、国際的常識において、どうなっているかといえば、離合集散を繰り返している様な国でない限り、生まれながらの国民でなく、そこの国民しての意識をもって育ったわけでない政治家が政権のトップになることは極めてまれである。

少なくとも、1975年に開始されたサミットの参加首脳についていえば、解釈が難しい一人を除いて全員が生まれながらのその国の国民である。

ジョン・ターナー少しややこしいといったのは、1984年にトリュドー首相の辞任にともなって3か月だけ在任したカナダのジョン・ターナー元首相(写真、Wikipediaより)で、イギリスでイギリス人の父とカナダ人の母との間に生まれ、2~3歳で父が死んだので、母とともにカナダに移り、母はカナダ人と再婚したので、カナダ人の父母の家庭で育った。

国籍については、当時はカナダ国民というものがなく、イギリス連邦国籍であったので判断しようがないのである。(1948年のカナダ国籍制定でカナダ国籍を授与されましたが、英連邦籍は残ったまま。英連邦籍は放棄できない仕組み)

そして、アメリカでは生まれながらの国民でないと大統領になれないので、キッシンジャーやシュワルツネッガーはそもそも資格がなかった。

もし最初に風穴を空けるとしたら、出自より文化や国家への忠誠度を判断基準にするフランスで、現在の首相はスペインからの帰化人だが、国軍司令官でもある大統領だけは例外であってよいという気分が強く、難しそうである。

それでは、なぜ、そういう現実になっているかといえば、ひとつは、意識のうえでその国にだけ過去も現在も未来も忠実であることが望まれるからだ。そして、もうひとつは、外国の実質的な支配下に入ることへの防波堤になるからだ。

日本の天皇はいわゆる万世一系であり、誰かほかに良い人がいるから変えようと言っても正統性がないからこそ統一と独立の守護神たりうる。同じように、外国がどこかの国を半独立国にしようと思っても、首相は生まれながらのその国の人からしか出せないとなれば、少なくとも、ちょっと面倒である。

そういうことが、古今東西、一つの国が独立を維持する上で強い防衛力になってきたわけで、その効用は馬鹿にしたものではない。

そういう効用を論じることは、少なくとも、人権問題ではない。生まれながらの大統領を要求するアメリカ憲法が国際的な人権規約に反するなんぞ聞いたこともない。

この問題について、違う意見の人があってもよいし、実は私自身迷っているのだが、これを人権問題とすりかえて論じるのは非常識で下劣である。

蓮舫さんについては、二重国籍であろうがなかろうが、日本に愛着も忠誠心も持ってそうもなく論外だが、もし、仮に、同じ台湾人でも李登輝さんがアメリカでなく日本に留学して、そのまま帰化でもしていたら、そのとき、日本人はどう考えただろうか。李登輝さんは申し分ないが、やはり首相だけには・・・と考えるかどうか、日本人はおおいに悩んだだろう。

頭の体操として考えると有意義だと思う。「反日」だとか「レイシスト」とかいう単細胞型のレッテル貼りから一歩進化した議論をしたいものだ。

*思い出したが私がENAに留学していたときにフランス人学生向けの卒業面接試験を傍聴していたら、テーマは「オペラ座の監督にイタリア人を任命したことの是非いかん」だった。このあたりはEU統合の進化でだいぶ意識が変わったが。

 

※アイキャッチ画像は首相官邸サイトより(編集部)