助けを求める人の手を振り払ってしまうことの罪深さ

私たちも気が付かないで同じようなことをしているかも知れないのだから、他人事だと思わないでお互いに胸に手を当ててじっと考えておくべきだろう。

私の地元で起きたおぞましい犯罪被害の件である。

誘拐監禁された少女は、隙を見て監禁された場所から逃げ出してたまたま通りがかった二人の女性に助けを求めたそうだ。

その時の詳細な事情が分からないから断定的なことは言えないが、その二人は関わり合いになることを恐れたのか、何の助けもしなかったそうだ。

助けを求めた少女は、それで絶望したという。

助けを求めて思い切って逃げ、さらに思い切って通りがかった大人に助けを求めたのに、いわば手を振り払うようにして拒絶されたと感じたのだろう。

いや、自分はそんなつもりはなかった、何か言われたが何を言っているのかよく分からなかったから返事をしなかっただけだ、急いでいたので先を急いだだけだ、などという言葉が返ってくるのかも知れないが、結果的にずいぶん罪作りなことをしてしまった、という悔いぐらいは感じておられるかも知れない。

その時のことは何にも覚えていない、え、そうだったの、などという反応が返ってくるかも知れない。

無意識か、あるいはよく内容を聞かないままに困っている相手の人を邪険にあしらってしまう、などと恐ろしいことを、ひょっとしたら私たちはしているのかも知れない。

本当のことを知らないでいる、あるいは、知っていながら知らないふりをしている、まさに見て見ぬふりをしている、ということは結構罪深いことなのかも知れない。

自分がそういうことをしていないか、胸に手を当てて反省したいものだ。

これは、特定の誰かに向けてのメッセージではない。
まずは、私自身に対してのメッセージだと思っていただきたい。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2016年9月28日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた早川氏に御礼申し上げます。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。