勅語詔書と機会主義と拝跪と

若井 朝彦

安岡章太郎(1920-2013)の話を北杜夫(1927-2011)が拾って随筆にしていたものの中にあったと記憶しているのだが、安岡は小学校での教育勅語奉読の際、

「夫婦相和シ」

というところに来ると、これがいつも

「夫婦はイワシ」

に聞えて、下を向いて笑いを堪えるのに大変だった、ということである。

聞いただけではまったくわからない謹厳な(難渋な)文言を荘重に読むと、かえって滑稽になる一例だとは思うが、読む方は読む方で大変だったらしい。大人にしても勅語詔書に出てくるような漢語(勅語詔書の骨格は日本語と謂わんよりは「漢語」である)は普段滅多なことでは使わない。読み間違えを口実に、校長が責任を取らされる例も少なくなかったということだ。四文字熟語でいうところの「繁文縟礼ノ極ミ」である。これは困ったことに、現代にもまだまだ生き残っているが。

さてその内容はというと、

・・・父母ニ孝ニ 兄弟ニ友ニ 夫婦相和シ 朋友相信シ 恭儉己レヲ持シ 博愛衆ニ及ホシ 學ヲ修メ 業ヲ習ヒ 以テ智能ヲ啓發シ 德器ヲ成就シ 進テ公益ヲ廣メ 世務ヲ開キ 常ニ國憲ヲ重シ 國法ニ遵ヒ 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ・・・
(『wikipedia』より・節を区切ってアキを入れた)

といった具合である。現代から見ても、この部分は特段、変わったことを言っているのではない。一家の主の権力が強大で、跡取りの長男には学校学問は要らんという家が多勢で、対等な男女の恋愛があったとしても極めて稀だった当時にしてみれば、この勅語は、当時の商家家訓などよりはるかに進歩的で、民法・憲法と比べても開明的なものであり、見方によっては欧米風だったと言えなくもない。

現在、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」が軍国主義と関係づけられて忌まれることが多いが、それは発布当時(明治23年=1890)の平民にしたところで同じだったであろう。合法的に徴兵を逃れるものも少なくなかったのである。しかしいずれにしてもこの内容は、当時の憲法以下のものではないとわたしには思われる。

ところで勅語詔書のたぐいは、読むのも大変なら、印刷も並大抵ではなかった。

以下は長谷川鑛平(1908-1995)の『本と校正』(中央公論社・1965)の中にあるエピソードなのだが、長谷川は1940年当時、みずからが編集校正していた『日本少年新聞』に「(日独伊三国同盟締結に際して渙発された)詔書」を掲載したところ、警視庁に呼びつけられたということである。具体的には

・・・政府ニ命ジテ帝國ト其ノ意圖ヲ同ジクスル獨伊兩国トノ提擕協力ヲ議セシメ茲ニ三國間ニ於ケル條約ノ成立ヲ見ルハ朕ノ深ク懌ブ所ナリ

という個所にある「提擕」を「提携」で済ませていたことが問題なのであった。この新聞を印刷しているのが小菅の刑務所内の工場であるため、長谷川は大きな印刷工場にあるような活字はないだろうと判断して、そのまま活字を差し替えることなく(安直に)校了していたのである。

警視庁ではこのことで官吏に怒鳴りつけられる。

「はあ、しかし、字の形が少しちがうばかりで、意味も文字の由来も全く同じ字なんですが・・・」
「馬鹿! お前、それでも日本人か!」

抗弁して一層ひどい目に遭ったようである。

あとで長谷川は同僚から小馬鹿にされるようにして諭される。「新聞社ではとくに詔書係りがいて、一字一句ゆるがせにしない、もし少しでもミスをすれば進退伺いもの」なのだ、そんなことも知らなかったのかと。

天皇に関わることとなると、空気を読まねばならず、忖度せねばならず、事大主義にまきこまれて大変だったのである。命令とは言えない命令で充満していたわけだ。しかし一方に強い権威権力があり、それへの順応次第では出世が可能な社会は、機会主義者を大量に生む。役人が国民に、忖度どころか拝跪を強要するようになる。難解な勅語詔書なども、そのための絶好の素材となっていたのであろう。耳で聞いて、すぐにわかるような文章だったら、こんなことにはならない。ありがたみがないのである。そういった意味で教育勅語には、内容よりむしろ文体に問題があったとわたしは思う。

第一次安倍内閣が2006年に設置した教育再生会議の委員からは、参議院議員、知事、政令市市長などを輩出した。籠池氏は、自身の学校法人に復古主義を採用し、こういったあたりに連なることを夢見ていたのであろうか。たしかに熱心な勤勉な機会主義者であったようではある。とはいえ教育勅語をきちんと扱えるだけの人物ではなかった。その結末は、たいていの機会主義者がそうであるように笑劇で終わりそうであるが、なんとハタ迷惑な。

ところではなしは「夫婦相和シ」にちなんであらぬ方向に飛ぶけれども、首相も自民党もこの際、夫婦別姓の利点について再検討してみてはどうだろう。

2017/03/20 若井 朝彦
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