自動改札機のない通路に驚く中国人学生

2017年04月20日 11:30

中国の主な大学にはみな、メディア人を養成するジャーナリズム学部があるが、学生の8割以上は女性だ。今回の参加者6人も、面接を経た結果、全員が女子だった。重いリュックを背負い、カメラを担ぎながら走り回る彼女たちは、男女の区別を感じさせない。度胸もあるし、好奇心も旺盛である。昼はコンビニのおにぎりやパンをかじりながら、平気な顔をして仕事をしている。

6人はうち一人を除き、初来日、かつ海外も初めてというメンバーだった。私は教師の立場以外、通訳兼ツアーコンダクターの仕事も引き受けなければならなかったが、彼女たちと同行しながら、中国の若者の視点から日本社会をみる貴重な経験ができた。

取材テーマの環境保護に限らず、彼女たちにとっては目に映るものすべてが新鮮だった。

まず、地下鉄に乗った際、駅員窓口の通路には自動改札機がなく、自由に行き来できるようになっているのを、ある学生が見つけた。日本ではごく当たり前の風景だが、中国はすべて自動改札機だ。学生の驚きはこうだ。

「なんて人を信用する社会なんだろう」

機械で規制しなければ、駅員が見ていないスキに切符なしで乗る人が出てくると考える。貧富の格差が大きく、順法精神が十分に行き渡らず、強制的な手段で防がなければ手立てがない社会と、ある程度の民度が確保され、一定の信頼によって成り立つ社会との違いだ。

同じことはバスの中でも起きた。乗車の際に整理券を抜き取り、距離に応じて料金を払うシステムだった。ある学生が「なんて甘い管理なんだ」と言い、こう言葉を続けた。

「ニセの整理券を作ったら、簡単にキセルができてしまうではないか」

なるほど。それは考えたことがなかった。確かに日本の公共交通費は高いので、節約したいと思う気持ちは理解できる。必ず不正は起きるものだと考える社会と、いくら何でもこんなことはしないだろうとの相場観、暗黙の信頼感が存在する社会の違いなのだ。むしろ前者がグローバルスタンダードなのかも知れない。名刺のやり取りだけで信用が成り立つことも、彼女たちには理解できなかった。「しょせん紙一枚ではないか」。そんな不可解な視線をしばしば感じた。

まだまだある。どうしてごみ箱がないのか。どこもトイレがきれいなのは信じられない。中国では便器に座れないが、日本では安心して腰かけられる。運転手同士の罵り合いがまったくない。道を平気で譲り合っている。

いいことばかりではない。どうしてタクシー運転手がみな年寄りばかりなのか。電柱と電線が入り組んでいて見た目が悪い、との指摘も。イー・コマースが日本以上に進み、携帯での支払いに慣れている中国の学生にとっては、コンビニで多くの日本人が現金を支払っている光景が不思議に思える。カード社会が進んでいるため、地下鉄で紙の切符を使うのは資源の無駄ではないのか、とも映る。過剰包装や、買ったお土産の数だけ紙袋をつける習慣にも違和感を覚える。環境保護大国にふさわしくないではないか、と。

福岡の西日本新聞本社では、ちょうど朝刊の編集会議が開かれている編集局を見学した。女子学生たちの第一声は、「どうして女性がいないのか」だった。中国では新聞、テレビとも圧倒的な女性職場だ。福岡では、九州大学のあるゼミが開いた卒業コンパに参加した。在校生が卒業生に送別のお笑い演芸を披露する。学年ごとの序列が厳格に定められていることに、ひどくびっくりしていた。中国では学年が違っても友だちのように付き合う。男女の差、先輩後輩の序列・・・環境保護においては先進国だが、社会環境は必ずしもよくない。彼女たちはそう感じたに違いない。

私は可能な限り、一つ一つの問いにもっともらしい答えを出そうと努力するが、日本人の心情が邪魔をし、どうしても弁護する口調になってしまう。我に返り、彼女たちの疑問と一緒に付き合いながら、自分の育ってきた社会を見つめ直す。私にとっては日本文化の深層を探る旅でもあった。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年4月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。

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加藤 隆則
汕頭大学新聞学院教授、元読売新聞中国総局長

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