恋愛映画や恋愛ドラマというらラブストーリーに絶対に欠かすことのできない要素が一つあります。それは「障害」です。まったく「障害」のない恋愛映画やドラマ、はたまた恋愛小説はストーリーとしての体(てい)をなしていません。
ちなみに、恋愛でないストーリーにも、必ず強大な敵が必要であることは以前にも書きました。
もし、ロミオとジュリエットの両親がとても仲が良く、二人が生まれたときから許嫁だったとしたら、ジュリエットは「どうしてあなたはロミオなの」と嘆くのではなく、「どうしてロミオと結婚しなけりゃいけないの」と嘆くかもしれません(笑)
恋愛映画や恋愛小説の「障害」の古典的なものは、「家柄」や「身分」でした。「ロミオとジュリエット」や「ローマの休日」がその例でしょう。最近は「教育水準」「資力」「年齢」なども障害として描かれることもあります。「プリティ・ウーマン」は、この三要素を全部含んでいます。
しかしながら、古今東西変わらぬ「障害」の横綱は、何といってもライバルでしょう。とりわけテレビドラマでは、ライバルの果たす役割はとても大きいと感じます。「東京ラブストーリー」は男女双方にライバルがいましたし「冬のソナタ」も意地悪なライバルがいます。最近のドラマはよく知りませんが、恋愛がテーマのドラマであればライバルがいケースがほとんどでしょう。
現実世界でも、ライバルが存在があったからこそ結婚してしまったという人たちがたくさんいます。結婚なんて意識せず、なくなんとなく付き合っていたら、突然強力なライバルが出てきて相手にプロポーズ。慌てて自分もプロポーズ。というドラマのようなパターンもあれば、彼が転勤、きっと転勤先の女性社員にモテるだろう、今しかない。という漠然としたライバルを意識するケースもあります。
ここで絶対に留意すべきことは、ライバルが出現すると「相手がとても輝いて見えてしまう」ということです。バーゲン会場で勝ち取った物を後でじっくり見て、「どうしてこんなものに熱くなっていたんだろう」と気づくようなもので、”取られる”と思うと希少価値を抱いてしまうのが人間心理です。
最たる例が「不倫」です。夫や妻というライバルが存在すると、やたらと燃える人が少なくありません。
弁護士としての経験から言うと、(失礼ながら)「どうしてこんな男性を巡って争うのだろう?」「どうしてこんな女性を巡って争うのだろう?」と感じることが少なからずありました。
もちろん好みは人それぞれですし、表面には現れない魅力を秘めているのかもしれません(セックスの相性とか)。しかし、奪い合いの末、勝ち取った方がほどなく相手を捨ててしまうというケースも結構あるのです。不倫相手を何とか蹴散らした妻がしばらくして夫と離婚する。不倫を貫き通して結婚した男が、しばらくして相手と離婚する。
そういう時の決まり文句が「ようやく頭が冷めました」です。勝ち取った相手との離婚の相談に来られた人たちが、バツの悪そうな苦笑いを浮かべながらそう言うのを何度か見てきました。
このように考えると、恋愛というのは様々な外部要素で燃え上がったり冷めてしまったりするもののようです。「運命の人」という場合の「運命」には、出会った時のタイミングや障害の有無という外部要素も含まれているのです。
逆に、「最初は気が進まなかったけど、結婚したらとてもいい妻(夫)だとわかった」と言う人のように、当初の期待値が低い方が結婚生活がうまくいくケースもあります。
人類永遠のテーマにして、冷静沈着な人間を盲目的な狂人にし、時として弁護士を儲けさせる(笑)。これが恋愛なのかもしれません。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年6月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。