半笑いメディアの罪:オウム事件を振り返る

宗教事件の加害者と被害者

宗教教義を理由に、殺人を正当化してきたオウム真理教。事件から20年以上が経ち、30代以下の若者たちにとっては「ずいぶん昔の事件」だろう。

「悪行を積みながら生きるよりも、ポア(殺人)によって当人の魂を救うことこそが必要」という身勝手な論理を信じ込み、殺人すら厭わず、ついには地下鉄サリン事件に及ぶに至った信者と教祖・麻原の思想や関係性に世間は震撼した。

藤田庄市『カルト宗教事件の深層』では、教祖と信者の関係を「スピリチュアル・アビュース」(霊的虐待)とし、本来、(教団に騙された)被害者であるはずの信者たちが世間や他の信者に対して加害者となってしまうことで、動機をはじめとする事件の解明が困難になった事例を、オウム事件を中心に、統一教会その他の大小の宗教事件から読み解いていく。

オウム真理教という宗教団体が話題となり、選挙に出馬して大敗、国家転覆を狙って事件を起こし、ついに教祖が逮捕されるに至った時期(1980年代後半から麻原逮捕の1995年)、私はいわゆる思春期を過ごしていた。

当時、ニュースやワイドショー、週刊誌で見るオウム事件は実に興味深かった。当初は都内で異臭騒ぎなどを起こしたり、珍妙な姿で総選挙に打って出るなどしていたが、ついに地下鉄サリン事件を起こし、「飛行船を使って毒薬散布を画策」「ロシアから大量破壊兵器を密輸入」など、現実離れした彼らの計画までが明らかとなった。まるでアニメの「謎の軍団」を観るかのように眺めていた私は週刊誌を買いに走り、時には通っていた塾を休んでまで特番にチャンネルを合わせたほどだ。

今では信じがたいことだが、地下鉄サリン事件発生から麻原逮捕までの間も、毎晩のようにその「謎の軍団」の幹部たちがテレビに出演し、言いたい放題、彼らの主張を垂れ流していたのである。そして幹部の一人はテレビカメラの目の前で刺殺され、麻原逮捕の際には護送車を中継ヘリが追跡し、その模様を生中継した。

現実社会で起きている現実感のない世界観を、私は主にテレビを通じて消費していたのである。

バラエティ生放送に教祖が出演

振り返ってみると、メディアのオウムに対する姿勢は当初は「半笑い」だったのではないか。

象の被り物で、独自の歌を歌いながら展開していた90年の選挙運動ひとつとっても、普通に見れば異常でしかない(しかもこの総選挙での大敗が武力革命実行を加速させたとされている)。が、これも「おかしな連中がいる」というくらいの半笑いでそこまで深刻にとらえられず、その映像はテレビでダダ流れとなり、子供たちはオウムの歌を口ずさんでいた。

サリン事件が起きる前には、当時人気絶頂だった芸人・とんねるずの「生でダラダラいかせて!!」という番組に麻原彰晃がスペシャルゲストとして生出演したこともあった。「話題の『教祖』が出演」とあって、スタジオは大歓声。「青春人生相談」と題し、スタジオに集まった若者が、それこそ「半笑い」で質問をぶつけていたのである。

「好きな芸能人は誰ですか」という質問に、「今はいないが、秋吉久美子が好きだった」と答える麻原。「なんだ、教祖とか言ってるけど結構普通じゃん(笑)」というギャップによる「半笑い」がスタジオを包み、テレビの前の視聴者を覆っていた。

「事件発覚前は危険性が認識されず、単なるトンチキな宗教団体だと思われていた(から仕方ない)」と言うのは簡単だが、この時期すでに出家信者と家族の軋轢や、教団内での殺人・隠蔽はもちろん、坂本弁護士一家殺害事件を経ていた。また本書によれば麻原の武力革命的思想はすでに早い段階から口にされてもいた。「危険な宗教団体」の萌芽はすでに育っていたにもかかわらず、テレビメディアが面白がって半笑いでネタにするという実に恐ろしい状況にあったのである。

事件後もそうだ。映像的にインパクトのある、教団服を着たいい歳の大人たちが、口角泡を飛ばしてあの麻原彰晃を庇い、教団の正当化を図る。ホーリーネームで呼び合う、オカルト思想に彩られたおかしな集団。なのに幹部は高学歴でみな堂々としている。教団幹部だった上祐史裕氏には追っかけのギャルが出現し、彼が得意とする「ディベート」は流行語にまでなった。

本書では、メディアに関しては雑誌『ムー』の役割に触れられる程度で、テレビなどで扱いはあまり出てこないが、テレビメディアがある面でオウム真理教に対する世間の警戒心のハードルを下げ、布教に加担した可能性は否定できない。

虐待を行ったのは誰か

また本書には「ポアすれば、悪の道に染まっていたとしてももう一度人間界に転生させ、修行させることができる。グル(麻原)にはその力がある」と信じ、信者の一人を殺害した教団幹部・早川紀代秀(09年に死刑確定)の述懐が登場する。

早川は、人現界に転生させられるとしていた被害者が「実は白熊に転生させられた」と別の幹部から聞かされた。このくだりを読んで一瞬、私も半笑いにはなった。「なんでピンポイントで白熊なんだ」と。が、そのあと背筋が寒くなった。早川はこれを聞いて笑うどころか、「残念だが、(地獄に行くよりはましだと)納得した」というのだ。これほどの認識の断絶がどうして起こるのか、マインドコントロールと一言で片づけられない背景があるはずだ。

次なるカルト事件を防ぐために、「宗教の自由」「信教の自由」の壁に阻まれた信者の精神に挑む著者の姿勢に敬意を表する。一方、メディアはどうなのか。「面白いから」と報じておいて、その影響によって生じる問題の責任は取らなかったのではないか。アゴラ執筆者である松本麗華さんの記事からも感じ取れるかもしれないが、信者や関係者に対する虐待は教団や加害者となった人たちが行なったばかりではなく、メディアもその一端を担っていたのではないか。

ちなみに本書には旧統一教会が世界平和統一家庭連合と名称を変更する手続きが、申請から18年後の2015年8月にようやく承認された件について、「推測」としながらも現政権と統一教会の距離の近さを指摘している。ご興味のある向きはぜひ読まれたい。