運は実力である:『すごい進化』

池田 信夫


ロバート・フランクによれば、人生が実力で決まると考えるか運で決まると考えるかで保守とリベラルがわかれるというが、この分類でいえば私はリベラルである。たとえばあなたが今の配偶者と出会ったのは実力ではないだろうが、その運が人生を大きく左右する。

運というと非科学的に聞こえるが、生物学では適応主義論争として今も議論されている。ダーウィン以来、進化は「適者生存」だというのが自明の前提とされてきたが、グールドはこれを「適応主義」として批判した。本書には多くの例があげられているが、もっとも明らかなのはカタツムリだろう。


地球上のすべてのカタツムリの殻は、この写真のように上から見ると右巻き(時計回り)である。その理由は、他のカタツムリも右巻きなので、左巻きではうまく交尾できないからだが、これは適応主義で説明できない。すべてのカタツムリが左巻きであっても、同様に適応が起こるはずだが、なぜ左巻きではないのだろうか?

その原因は運、つまり環境による制約である。進化の歴史の初期にたまたま右巻きの個体が多かったので、左巻きが淘汰されたのだ。その証拠に、大陸と切り離された離島には、左巻きのカタツムリが生存している(日本の文化も同じだろう)。

しかし運を生かすかどうかは実力である。右巻きのカタツムリの中でも激しい競争があり、それを捕食するヘビも「右きき」に進化する。あなたが美しい女性と出会うのは運だが、彼女を口説いて結婚するのは実力である。

これは小さなエピソードのようだが、ニュートン以来の近代科学の最適化モデルの転換につながる可能性がある。運のことを経済学では複数均衡とか外部性などと呼ぶが、この名前が示唆するような例外的な現象ではない。むしろ均衡が一義的に存在するケースが例外なのだ。

複数均衡の中でどれを選ぶかという「均衡選択」はゲーム理論で30年以上解けない難問だが、適応主義のドグマを忘れれば解決できる。運は大進化で実力は小進化なのだ。20世紀の科学は物理学をモデルにしてきたが、21世紀の科学は生物学をモデルにして進化するだろう。本書はその最新の成果を具体的に紹介している。