知的な人とは

「知的であるかどうかは、五つの態度でわかる」(15年09月08日)と題されたブログ記事では次の五つ、「異なる意見に対する態度」、「自分の知らないことに対する態度」、「人に物を教えるときの態度」、「知識に関する態度」、「人を批判するときの態度」が、知的か否かの判断基準として紹介されています。

国語辞書を見ますと、知的とは「知識・知性の豊かなさま。また、知性の感じられるさま」と書かれており、また知性とは「物事を知り、考え、判断する能力。人間の、知的作用を営む能力」と書かれています。

「どのような人物が知的なのか」について私見を述べますと、「多様性を受け入れられない人」、「柔軟な思考力を持っていない人」、「凝り固まって自分の殻から出られない人」は、少なくとも知的ではないと思います。

『論語』の「子罕(しかん)第九の四」に孔子の言、「意(い)なく、必(ひつ)なく、固(こ)なく、我(が)なし」があります。之は、「私意がない、無理を通すことがない、物事に固執することがない、我を通すことがない」ということです。

「中庸の徳たるや、其れ至れるかな」(雍也第六の二十九)と言うぐらい、孔子は中庸を最高至上の徳とし、バランスを保って行くこと、バランスの取れた人間になることを大変重要なものとしていました。此の中庸の徳を養うべく、孔子が実践したのが上記の「四(し)を絶つ」ということで、それにより自分自身を鍛錬したわけです。

こうして自らを律し「意必固我」を排除する中で、孔子は非常にバランスの取れた人間となりました。従ってそういう意味では「意必固我」を取り除いた時に、ある種の教養人というか知的な人というのは出来上がってくるのではないかと思います。

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