キメラ抗体治療法(CAR-T細胞療法)の壁+北朝鮮危機

日本の防衛省が「北朝鮮はすでに核弾頭を準備している可能性がある」と言ったことが大きな話題になっている。トランプ大統領は、北朝鮮の「ワシントンに重大な教訓を知らしめてやる」という脅しに、「これ以上米国を脅すと、北朝鮮を大変な目に合わせるぞ(N.Korea will be met with “fire and fury” if threatens U.S.)」と警告したとのニュースが流れている。予測不可能な二人のリーダーのチキンレースの様相を示しており、明日何が起こってもおかしくない感がある。

と庶民が心配しても仕方がないので、がんの話に移したい。このブログでは、新しい免疫療法の重要性を再三紹介しているが、今日は、決して単純な「ばら」色のストーリーではなく、「いばら」色の道でもあることを示しておきたい。7月19日号のScience Translational Medicine誌に「A single dose of peripherally infused EGFRvIII-directed CAR T cells mediates antigen loss and induces adaptive resistance in patients with recurrent glioblastoma」というタイトルの論文が掲載されていた。

簡単に要約すると、EGFRvIIIという分子を標的にしたCAR-T細胞療法を、再発グリオブラストーマ(非常に悪性度の高い脳腫瘍)に試みたが、 わずか1回の注射で、がん細胞がEGFRvIIIを作らなくなり、この治療法に抵抗性になったという内容だ。EGFRは細胞の表面にあるEGF(上皮成長因子)受容体で、vIIIは遺伝子異常によって生ずる、がん特異的な受容体タンパク質のことだ。この異常タンパクに対する抗体とT細胞を活性化させる分子を人工的に連結して作り上げて、T細胞を脳腫瘍細胞の近くに運び、がんを叩くという原理である。

この治療法を受けた患者さん10名の内、7名の患者さんは手術を受けているので、この治療法の有効性を評価するのは難しい。また、重篤な副作用はなかったとのことであるが、治療開始後の生存期間中央値は251日(8ヶ月強)であり、これまでのCAR-T細胞療法と比較して失望感は隠せない。手術を受けた7名のデータから、注射したCAR-T細胞は、脳腫瘍に達していたことが確認された。著者たちは、効果が期待はずれだった理由として、(1)がん組織内での免疫抑制細胞が急増していたこと・他の免疫抑制分子も増えていたことや(2)がん細胞内のEGVRvIIIの量の減少を挙げていた。私は、後者の解釈に関しては疑問である。それぞれのがん細胞内のEGVRvIIIに差があり、産生量の多いがん細胞がCAR-T細胞によって殺されたため、結果としてEGFRvIIIの産生量の少ないがん細胞が生き残った結果ではないかと思う。

いずれにせよ、がん細胞は強かだ。攻撃を仕掛けてもそれをかわすために、いろいろな道具を使ってくる。そして、がん細胞は多様性に富んでおり、一部が攻撃で滅んでも、一部は攻撃に耐えられるような準備をしているのだ。進化論でもそうだが、「遺伝子変異を起こして生き延びる」というのは間違いで、「遺伝子変異を一定の割合で起こして、多様性をあらかじめ獲得していることによって、環境の変化に耐えられた者が生き残るようになっているのだ」。エイズが致死的な感染症であった頃でも、CCR5という分子に異常のある人がHIVウイルス感染から逃れたのも、進化論で説明できる。

この結果から学べる事は、がんを攻撃するには、陸海空といろいろな手段で一気に攻撃を仕掛けて叩くことだ。免疫療法も、ネオアンチゲンやオンコアンチゲンを利用して、もっともっと攻撃力をアップできるはずだ。

PS: 産経新聞によると、「がんと診断された患者の平均年齢は徐々に上がり、21年は67.2歳だったが、27年は68.5歳になった。75歳以上の患者の割合も、21年には33%だったが、27年には36.5%に上がった。ただ、高齢の患者は糖尿病や高血圧などの持病があったり全身の状態が悪かったりして、若い患者と同じ治療を行うのが難しいとされている」そうだ。新たにがんと診断されるケースが100万人を超えると推測される今年、この内、75歳以上の患者さんの数は約40万人になると思われる。高齢者がん医療が重要な課題となるのは、かなり前からわかっていたことだ。こんな後手後手の対策で、老人を大切にしない国でいいのか?高齢者患者さんたちに対する治療基準がない国が先進国と言えるのか、大きな疑問だ。


編集部より:この記事は、シカゴ大学医学部内科教授・外科教授、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴ便り」2017年8月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。