枝野幸男氏の取り違えている「日本流保守」

2017年08月28日 10:30

民進党の代表選挙は、争点がよくわからないので盛り上がらない。特に憲法改正については、いずれ国会で党としての見解を出さなければならないのだから、態度を明確に打ち出したほうがいいと思うが、かねてから「第9条2項を見直すべき」と主張していた前原誠司氏はその主張を封印してしまった。

他方、枝野幸男氏は「私は保守だ」と言い始めた。産経新聞の報道によると、彼はトークイベントでこう言ったそうだ。

保守とリベラルって対立概念じゃないですから。リベラルという言葉は多義的だから。新自由主義的な色合いの強い古典的なリベラルから、多様性を認めて社会保障に力を注ぐソーシャルリベラリズムまで、リベラルだっていろいろあるし。

保守といったって、何を保守するんだ、と。僕は「和を以て貴しとなす」からの日本を保守するんだったら分かるけど、安倍晋三首相は明治維新以降の欧米化された日本を保守しようとしてるから、保守する対象が違う。

これだけでは意味不明だが、「安倍首相が明治維新以降の欧米化された日本を保守しようとしている」というのは当たっている。これが日本の保守派を自称する人々に共通の錯覚だ。たとえば靖国神社の起源は明治2年であり、古来の伝統とはいえない。明治憲法や教育勅語に至っては、明らかに近代国家の制度である。

では枝野氏のいう「和を以て貴しとなす」は、日本の伝統だろうか。歴史学では、その逆である。ベストセラーになった『応仁の乱』でもわかるように、日本人は16世紀まで殺し合いを続けてきた。日本古来の伝統は、やられたらやり返す自力救済だったが、これを放置すると際限なく「親の敵討ち」が続くので、個人を(自発的に)切腹させて家と家の紛争に発展させない制度ができた。

こうして紛争を厳重に禁じて全国を300に分割し、百姓から武器を取り上げ、土地に縛りつけて秩序を守ったのが江戸時代の平和主義だった。日本のリベラルの元祖である丸山眞男は、これを「幕藩制から明治天皇に至る間にできた負の遺産」と批判している。

日本は非常に危険な国です。「和」の名において、実は強制が行なわれる。そういう危険のほうが、より大きいと僕は思うんだ。だから、まず「紛争」というのを間に置けば、その点は大丈夫なわけです。そうではなく、「統合」から出発しちゃうと、紛争それ自体がいけないんだという、幕藩体制から儒教なんかが大いに要請した秩序本位の考え方のほうに行っちゃう。

つまり日本の伝統は「紛争」を前提とする自力救済だったが、江戸時代以降ずっと危険な「和の精神」が続いている、というのが丸山の歴史観である。これは枝野氏などの(自称)リベラルとは違うが、歴史学では正しい。平和主義は、日本古来の伝統ではないのだ。

公平にいうと、この点では「安倍首相の自己責任」を批判し、「All for All」を打ち出す前原氏の温情主義も似たようなものだ。江戸時代以降の平和ボケは、明治以降の日本が国家を統一して西洋にキャッチアップする役には立ったが、少数派を抑圧する「和の精神」がファシズムを生み、そして現代日本の長期停滞を生んでいる。

日本の伝統だから保守しろとか、逆に伝統だから否定しろという論法は無意味だが、安倍首相から民進党まで、ガラパゴス平和主義を日本の伝統だと思い込んでいるのは困ったものだ。いま民進党に必要なのも、意見の違いをごまかして「統合」することではなく、「紛争」から出発して多数決で割り切る精神だろう(写真は民進党ホームページより)。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 SBI大学院大学客員教授 学術博士(慶應義塾大学)

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