「強すぎる自民党」の病理

池田信夫さん著「「強すぎる自民党」の病理」。読むのに時間がかかりました。面白くて。
戦後の政治史観には同意する指摘が多々あり、ピックアップしつつコメントします。
◯は池田さんの指摘です。

◯自民党は一貫したポピュリズムの党であり、初期は農民の党だったが、公共事業・バラマキ福祉の利益誘導システムを作った。

当初、官僚出身=イデオロギーvs党人=リアリズムという対立項があったが、後者が自民党の本質であり、その代表が田中角栄だと思います。
「田中角栄というシステム」
http://ichiyanakamura.blogspot.com/2013/06/blog-post_3.html

◯「農地改革と財閥解体で資本家がいなくなったため、個人の預金を低利で集めた銀行が資本を供給し、サラリーマン社長が経営する日本型資本主義が成立した」

江戸時代から武士より農商に有利な「逆身分」社会構造だったと池田さんは言います。戦後さらにそれを逆進させた。その社会主義的な格差なき成長は、大蔵省がグランドデザインを描き、GHQに実行させたものです。

◯ドッジラインもシャウプ勧告も大蔵省がアメリカを利用した。軍と内務省がGHQに解体され、大蔵省が行政をコントロールした。

コミック・モーニングに連載していた「疾風の勇人」が参考になります。

◯サラリーマンは労組でなく企業に帰属意識を持ち、企業一家として自民党の支持基盤となった。社会保障を拡大し、「社民の「福祉国家」という看板は、自民党に奪われてしまった」。

これが自民党のリアリズム政治。地域に張り付いて、目の前の支持層を取り込んでいった蓄積が今の姿だと考えます。

◯小沢一郎「日本改造計画」は小さな政府を求めた。竹中平蔵ら当時の学問的コンセンサスだった。小さな政府は小泉ー竹中ラインが進めたが、小沢氏はその後迷走し、左派となり、大きな政府を目指した。安倍首相も大きな政府を目指している。

日本改造計画、情報通信の部分はぼく執筆しました。当時は役所もその新構想に思いを寄せていたのです。それはおおむね実現しましたが、実現したのは小沢さんではありませんでした。今また大きな構想が求められています。

◯官邸主導は小泉政権が進めた。法案の起案~閣議に至る関係省庁+与党の調整スキームは、江戸時代から変わらないボトムアップの統治システム。

ぼくの役人生活は、9割がたそうした「調整」でした。起案、省内調整、研究会、審議会、マスコミ対策、法制局、他省庁折衝、閣議、与党調整、野党対策。

◯小泉政権は竹中=飯島ラインの名人芸で政権運営したが、官邸主導を制度化できず、後に続かなかった。「家」の自律性が高く、強いリーダーは拒否されてしまう。

小泉モデルは強いリーダー+参謀のセットでした。参謀はいても、「強いリーダー」が天下を取るのが日本は難しい。

◯民主党政権は命令しても官僚が動かなかった。政治主導の幻想で政策が実現しなかった。政治主導のコアとなる公務員制度に無関心で、天下りを禁止する方針を出していた。

民主党政権はリアリティーよりイデオロギーが優先しました。官僚OBの若い政治家が理念を実現しようとしました。しかしその多くは課長補佐クラスから転身したかたがたで、往年の自民・官僚派が次官・局長級から上がってきたのに比べ、霞が関への重みが足りませんでした。

◯安倍一強の原因は、官邸主導を実現した政治的イノベーションにある。「菅義偉官房長官が官僚を「直接統治」するシステム。」内閣人事局を通して霞が関幹部の人事を握り、実質的な政治任用にしたこと。

現政権は重い番頭モデル。中曽根政権の後藤田官房長官、小渕政権の野中官房長官を想起させます。
「ぼく目線で野中広務回顧録を読んでみた」
http://ichiyanakamura.blogspot.fr/2013/06/blog-post_10.html

◯「財政を再建する方法は社会保障の抜本改革しかない」今のまま放置して財政が破綻すると、年金の大幅カットやハイパーインフレなどの「ハードランディング」は避けられない。「財政再建は厚労省の解体から始まる」。

最後に一点だけ政策論。ぼくもこの分野が最重要の政治課題と考えますが、動かそうという気配がありません。次、日本に政治の季節が来るのは、この件が破裂するか、国際紛争に巻き込まれるか、いずれかだと思います。

次は池田さんのポスト安倍・ポスト平成の話を伺いたいです。