弁護士は政治家になりやすい??

荘司 雅彦

私が司法試験受験生をしていた30年近く前のことです。

受験仲間に「どうして司法試験を受験しようと思ったの?」と尋ねると、「政治家になりたいから」と答える人が案外多くて驚いた記憶があります。「政治家になりたいなら超難関試験で年月を費やすより、秘書等になって一刻も早く政治の世界に入った方がいいんじゃないか?」と言うと、「下働きはしたくない」と答える人が多かったのにまたまた驚きました。

そもそも彼ら、彼女らが政治家を目指していたのは、「様々な権力が手に入る」「大臣になれるかもしれない」「国会議事堂の赤絨毯が踏める」「テレビに出られる」などという、いささか稚拙な動機ばかりでした。

その後、何かの記事で「弁護士は落選しても、勤め人と違って元に戻れるから立候補しやすい」と書かれていたのを見て、「そういう人もいるだろうけど、殆どの弁護士には当てはまらない」と思いました。

弁護士、とりわけ地方の弁護士は一人でたくさんの事件を抱えています。民事、家事、刑事、訴訟だけでなく調停とか破産関連の事件とか、少ない人でも50件くらいは抱えてます(いました?)。

ちなみに、私は200件くらい抱えていて、いつも両肩にズシリと重しが乗っかっている気分でした。
手持ち事件をすべて部下のイソ弁さんたちに委ねることができる人であれば立候補も可能でしょうが、事務所でなく当該弁護士本人を頼って依頼した人たちが多いとそうもいきません。
決して、簡単にテンポラリーな議員稼業ができる訳ではないのです。

私は、どんな仕事でも最終的なやりがいは「誰かの役に立っている」と実感できることだと考えています。もちろん、衣食住が足りての話ですが。

どんなに大きな家に住んで巨万の富を持っていようと、眠るスペースはベッドひとつだし日々の食事も三度であるのに変わりはありません。

無理にそれ以上を試みるとかえって体調を崩しそうです。
ならば、日々、自分が従事していることが誰かの役に立っていると実感できることこそ「やりがいのある人生」ではないでしょうか?

そういう意味では、ほとんどの仕事は誰かの役に立っています。コンビニの店員さんがいるから夜中でも買い物ができるし、駅員さんがいるからスムーズに通勤・通学ができるのです。

今から思い返せば、「国会議員になって一人でも多くの人の役に立ちたい」という受験仲間がいなかったのはとても残念な気持ちです。

国会議員や地方議員など、政治家諸氏は365日休み無しのハードワークです。
菅官房長官は4年以上自宅に帰っていないという話を聞いたこともあります。
「多くの人々のため、社会のために身を粉にして働く」ことに生きがいを感じる人たちこそが、今回の選挙で当選して議員になっていただきたいと、私は心から願っています。


編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年10月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。