菊地事件無罪判決は刑事司法を変えるか?

2017年12月30日 06:00

菊池直子元信者(警視庁の公開写真より:編集部)

オウム真理教の菊地直子元信者の無罪が最高裁で確定しました。

多方面から意見が出ているようですが、私はこの判決は従来の刑事裁判のあり方を変える大きなきっかけになるものと高く評価しています。

日本の裁判は三審制だと言われていますが、刑事裁判の上訴審(控訴、上告)は、第一審の判決の手続きや事実認定のあり方をチェックする事後審です。

ちなみに、民事裁判は、控訴審までが続審という制度で第一審の続きをやります。

刑事裁判の事後審というのは、新たに白紙の状態から審理をするのでもなく、民事裁判のように続きをやるのでもなく、第一審の判決に至ったプロセス等が適切妥当なものであったかどうかを審理するものです。

卑近な例で考えれば、入学試験で最初の採点者が採点した答案を見て、以後の採点者が配点や正誤について正しい採点をしている否かを確認するようなものとイメージすれば、当たらずとも遠からずと言えるでしょう。

今回の菊地事件では、第一審が有罪とした判決を、控訴審が逆転無罪としました。

その際、「控訴審が一審の判断過程のどの点が不合理かを具体的に示さないまま無罪とした」ということを最高裁は認めています。

先の例でいえば、二番目の採点者が、答案の点数を変えたにも関わらず、最初の採点のどの点が間違っていたのかを具体的に指摘しなかったのと同じです。

「あなたの採点のこの部分がこういうふうに間違っていた」と指摘することなく点数を変えられたのでは、最初の採点者としては不満が出ますよね。

従来の判例では、こんな大雑把な方法で第一審の判決を覆してはならないとされていたので、「判例違背」という理由で検察が最高裁に上告したものです。

ところが、最高裁は、プロセス的には問題はあるけど、結論が「無罪」だからよしにしようという判決を下したのです。

まさに「疑わしきは被告人の利益に」「無罪推定原則」に則って、一審と二審で結論が分かれるような(疑わしい場合は)原則通り無罪にしようと判断したものと考えられます(判決文を読んでいないので、あくまで私の推測ですが)。

従来の刑事司法は、「無罪推定」どころか「有罪推定」で審理が進んでいた感があります。

司法研修所で無罪判決の書き方を教わっていないので安易に有罪判決を書く裁判官がいる、と揶揄されたこともありました。

公判廷での有罪率が99.9%ですから、ベテラン裁判官でも無罪判決を書いたことのない人が少なくありません。

このような事情から「わが国の刑事司法はかなり絶望的である」と元東大総長で刑事法の大家の故平野龍一先生が嘆いたとも言われています。

今回の最高裁の判決は、刑事司法の大原則である「疑わしきは被告人の利益に」「無罪推定原則」(正確には両者の間には若干のニュアンスの違いがあります)に立脚したものであると、高く評価すべきものです。

これを機に、あるべき刑事司法が実現されることを心から願って止みません。


編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年12月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。

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