訪中団に成果なし 異国の正月を迎える同胞あり --- 半場 憲二

寄稿

習近平氏と会談した二階幹事長(中国メディアより引用)

自民党の二階幹事長率いる「日中与党交流協議会」(以下、訪中団という)は12月24日~29日、中国を訪問した。最初に下り立ったのは福建省アモイである。東京からアモイまで直線にして2,250キロ、北京までの1,950キロと比べ遠いことがわかる。

訪中団がそのような場所へこぞって駆けつけた理由は、アモイが経済圏構想「一帯一路」の海路の起点だということ、日本も国際会議に参加し地ならしをしておくという意味があろう。
もう一つは二階幹事長の選挙区・和歌山県高野山、真言宗の宗祖・空海が滞在したといわれる縁の深い福州開元寺を訪問するためだ。僧侶の説明を聞いて「胸が熱くなった」という。

産経ニュース(2017年12月28日)は、

北京人民大会堂で中国外交担当トップの楊潔篪国務委員と会談し、邦人8人の釈放を求めると、楊氏は「国内法に基づき対処する。日中領事協定に基づき意思疎通を図っている」と答え、二階氏は「将来にそれなりの答えが出てくるだろうと思う」と記者団に答えた

と伝えている。

ここで一つ確認しておきたいものがある。大正9年(1920年)1月の外務省資料「遭難支那人救助に関する件」である。国立公文書館アジア歴史資料センターのホームページで閲覧することができる。

魚釣島で遭難した漁民の件が沖縄県や外務省に伝わった時の文書だ。資料は同年2月17日、沖縄県知事・川越壮介が外務省通商局長・田中都吉に宛てられた公電で、本国送還の経緯について記されている。

島で食料の自給はできない。当時の島民は石垣島から食糧を輸送調達し生活していた。古賀善次はこの貴重な食料を遭難漁民に分け与え、手厚く保護しているのである。

日本人によって救助、数ヶ月にわたり保護され、在長崎支那国領事と交渉し、日本の税金を使って石垣島発・大阪商船八重丸に乗船し台湾へ。25日には台湾基隆発アモイ行きの同天草丸に乗って福州に送還、故郷の春節を迎えることができたのだ。

日本の訪中団は遭難漁民を送りかえした由緒ある場に下り立った。

この史実を再確認する上で千載一遇の好機だったにもかかわらず、訪問した福州開元寺では「胸が熱くなった」にもかかわらず、邦人8人の拘束については、「それなりの答えが出てくるだろうと思う」と冷めたことを言う。この神経が、私にはまったく理解できない。

全員が国会議員バッチを胸につけ、私人の訪問ではない。訪中団は両国間の政治や経済分野を話し合い、今後は「一帯一路」経済圏構想の実現やAIIBの国際的地位を高めるため、何より中国のほうが日本の参加と支援が必要なのである。

中国には、こんな諺がある。
「不打不成交」(喧嘩をしなければ、仲良しになれない)
「冰冻三尺,非一日之寒」(三尺の厚い氷は一日の寒さでできたものではない)

両国間の敏感な問題を抱えた状態の交流であるが、与党の訪中団であり、自民党の幹事長クラスにでもなれば、公開・非公開の違いはあれ、遭難漁民31名を送り返した史実を持ち出し、「拘束中の日本人全員を春節前に釈放せよ」と言うくらい何ともないのだ。

古代大陸の兵略「三十六計」に謀略思想を端的に表している「笑里藏刀」(xiào lǐ cáng dāo)という言葉がある。直訳すると「笑いの中に刀を隠しもつ」となろうが、「真綿に針を包む」と言えば実感しやすい。それを象徴する出来事が起こっている。習近平主席と面会した29日である。

訪中団が北京に滞在している間、中国は尖閣諸島周辺接続水域に海警局の船3隻を二日連続航行させている。真綿に針を包む。中国共産党は、「与党訪中団だろうが自民党幹事長だろうが、利用できるものは利用する」と言っているも同然である。尖閣諸島の領有権主張も後退させる気はないのである。

しかしながら、わが国の与党・自民党の幹事長は訪中の感想を聞かれ、「中国側の熱意を強く感じたというのが大きな収穫であった」と締めくくっている。端から負けているのだ。日本の期待とは裏腹に熱意の空回りは幾たびもあった。つい最近まではファシズム国と並び立て、中国共産党が大大的に抗日戦争勝利式典を開催したのをお忘れなのか?

中国共産党とのパイプを生かすはいいが、国益をかけた交渉時となったときは、かくも見事なまでに物申さぬ人物を派遣してはならない。日本の正月は過ぎてしまった。今年の中国の旧正月・春節は2月16日である。訪中団の不作為によって同胞が異国の春節を迎えようとしていることを、日本人は肝に銘じなければならない。

国立公文書館アジア歴史資料センター

中国福建省 福州開元寺ホームページ


半場憲二(はんばけんじ)
中国武漢市 武昌理工学院 教師