何はともあれ、憲法改正の是非を問う国民投票は実現しよう

2018年01月12日 06:00

憲法改正の発議そのものに反対だと仰る方もおられるだろうが、私は国民投票の結果憲法改正案が否決されることになってもいいから、何とか憲法改正国民投票は実現したいものだと考えている。

憲法改正の発議をする以上は、国民投票で国民の大多数が賛成するような内容にブラッシュアップすべきだ、というのがオーソドックスな考え方だと思うし、現にそうすべく関係者の皆さんはそれなりに努力されているのだと思うが、国民投票の結果否決されてもいいじゃないか、というのが私の考えである。

まあ、何と天邪鬼な、と呆れてしまう方もおられるだうが、憲法の改正は、成ってよし、成らなくてよし、という一面がある。

衆参の両院で3分の2以上の議員の賛成を得て国会が発議したのに、国民投票でこれが否決されたということになると、国会の権威が落ちるのではないか、国民投票で否決されるような憲法改正案を発議したのがいけない、国民投票で否決されるような憲法改正案の発議を主導した国会議員の政治責任を問う、などといった問題が派生するかも知れない。

しかし、主権者である国民に憲法改正の是非を問う、ということ自体には何の問題もない。

明治憲法と言われる大日本帝国憲法は欽定憲法で、国民はその制定に関与していないことは周知のとおりだが、実は現在の日本国憲法の制定そのものには国民は関与していない。現在の日本国憲法について、いわゆる憲法制定会議は開かれていないし、憲法制定のための国民投票も行われていない。

国会において憲法案の審議に参加する衆議院議員の選挙に国民が参加しているのだから、日本国民は間接的に現在の日本国憲法の制定に関与しているではないか、という反論がありそうだが、その衆議院選挙に日本の施政権が及ばなかった沖縄や奄美の人たちは参加出来ていないのだから、主権者である当時の日本の国民が制定した憲法だ、とまでは言い切れないところがある。

うーん、現在の日本国憲法の出自にはどこかおかしなところがあるなあ、というのが私の率直な感想である。

日本国憲法については、憲法の施行後1年経過したら国民投票に掛けるべきだろう、というのがGHQの意向だったようだが、当時の吉田総理がその必要性なし、ということで現在まで来た、という事実があるようである。最低限、国会で日本国憲法を追認する旨の決議でもやっておけばよかったのだが、現実には何もなされないまま今日を迎えている。

まあ、国民投票法自体が制定されないまま来たのだから、日本国憲法についてその是非を国民に問う、という大事なことをしなかったのは止むを得ないことなのだが、突き詰めて考えるとどこかおかしい。

どこかの段階で現行憲法の是非について国民の意思を問う、ということをやっておいた方がいいですね、というのが私の問題意識である。

国民投票は、何とかして実現したい。

国会が発議した憲法改正案が可決されれば、それが現在の国民の意思、ということになる。
国会が発議した憲法改正案が否決されても、それが現在の国民の意思。

主権者とされている国民が、初めて日本国憲法について自分の意思を表明するチャンスが憲法改正国民投票なのだから、憲法改正、成ってよし、成らなくてよし、というのが私の理解である。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2018年1月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。

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