徐福伝説に夢を見続ける中国の老記者㊦

2018年02月17日 06:00

日本国際貿易促進協会が発行する週刊紙『国際貿易』に連載中の「私と徐福」が2月13日、上中下の最終回を迎えた。

筆者は、中国徐福会会長の張雲方氏。かつて中国の改革開放が始まったばかりのころ、日本に駐在した元人民日報記者である。生まれたのは韓国。政府での仕事を離れてからは、徐福伝説を通じ日中韓の交流を強化する活動に心血を注いできた。

韓国・平昌で冬季五輪が行われている。スポーツの祭典の裏で、一部の者による主義主張を貫こうとする動きが、周辺各国で起きている。沈黙をしている多くの人々の覚めた目と無垢な心が試されている。こんなことを思い浮かべながら読むと、違った感慨がわいてくる。意義深い連載だった。

筆者の張氏が、連載を引き受けてくれた編集部の方々に深く感謝している。

以下、最終回の全文である。

韓国も含め3カ国協力を

私は中国徐福会会長に就任した後、前任者の意志を受け継ぎ、「徐福文化」の概念を提起した。単なる徐福研究をより幅広い徐福文化研究に間口を広げ、歴史だけでなく徐福現象が久しく衰えない理由や、徐福精神と徐福理念を研究することが重要だと考えた。

2000余年あまりの昔に生きた歴史的人物が、いまだ中日韓三カ国ひいては東アジア諸国で受け入れ慕われ、愛敬と顕彰を一身に受けることは、彼が文化の交流、経済の発展、思想の融合と和平、健康と長寿を体現しているからであり、これこそが人類の追求する永遠のモチーフ、不朽の真理だと考えられた。徐福文化のバイタリティ-は、まさにここにある。私たちが継承せんとするものも、そのような精神と理念である。

その上、徐福文化の研究は地方の文化振興・経済の大きな飛躍に役立つ、国家の調和ある発展に役立つ、中日韓三カ国の友好に役立つ、という「三つの役立つ」構想を提起した。

 

韓国徐福会会長の李世基氏(右)と筆者、筆者提供

11年、宋健元国務委員・中日友好協会会長がミッションを率いて訪日した。出発に先立って秘書から電話があり、徐福関連の学術論文がほしいと言われた。『源を遡り遠きを眺む』という大会あいさつでは、まる一章の紙幅を割いて中日交流における徐福を語った。私が知る限り、中日友好の民間交流を担当する指導者が初めて詳しく徐福に論及したことになる。宋会長の文章を拝読するとどうしても自制が効かず、涙のあふれ出るのを禁じえなかった。

同年、私は中国徐福会代表団を率いて日本と韓国を訪問し、中日韓三カ国が共同で徐福文化遺跡と伝説のユネスコ世界文化遺産に登録するよう提案した。中国徐福会が検討した結果、徐福記念切手の発行と徐福文化基金の設立構想も提案した。ここ数年、更なる徐福文化研究を奨励すべく、中国徐福会は徐福文化貢献賞と学術賞を授与してきた。さらに中日韓三カ国が共同で徐福を記念すべく、徐福記念日の設置を構想中である。

14年、習近平国家主席は韓国を訪問し、ソウル大学での講演を行った。その際、「中韓友好には悠久の歴史があり、徐福は済州島を訪れていました」との言及があった。これは鄧小平に続いて、中国の最高指導者が改めて徐福に言及したことになる。習主席の話は中日韓参加国の徐福文化関係者を大いに鼓舞した。

徐福は人間であって神様ではない。徐福の研究と顕彰は、彼を神秘化、神聖化するためではなく、彼本来の姿を取り戻し、彼により近づくためにほかならない。旧唐書曰く、「銅を鏡と為せば、衣冠を正すことができる。古を鏡と為せば、興亡を知ることができる。人を鏡と為せば、得失を明らかにすることが出来る」。我々の徐福研究の目的は正にそこにある。

中国における徐福文化研究、そして日本・韓国おける徐福文化研究はいま、ますます盛んになっており、展望は非常に明るい。私はこれからも徐福文化研究とともに生涯を送る所存である。(張雲方・中国徐福会会長)

(完)


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2018年2月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。

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加藤 隆則
汕頭大学新聞学院教授、元読売新聞中国総局長

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