ブルターニュで ごめんなさい。

中村 伊知哉

ブルターニュはロクロナンの「パルドン祭」。
告解の巡礼です。
「パルドン」は「ごめん」の意味なので、「ごめんな祭」ですな。
黒のビロードに白エプロン。
金糸銀糸やピンクの刺繍、そして白いレースの髪飾り。
おごおかに歌い、村々を練り歩く、静かな祭りです。
涼風、いや夏でも冷たい風は、イギリス南部のブライトンやボーマスあたりを思わせる。
2つ煙突、レンガの平小屋、道端の石垣をおおう紫紺や深紅のあじさい。
庭はどこも手入れが行き届いている。
(Quimper)
黄金に刈り取られた麦畑と、緑に続くとうもろこし畑を横切る小道。
ラウンダバウト、ラウンダバウト、何十kmも信号はなく、ぽっこりと小さな教会の塔が現れたら、村。
一軒しかないカフェの軒先、粗末なテーブルに座る老夫婦が、じっとこっちを見ている。
(Rochefort-en-Terre)

「ブルターニュは貧しい」と昔ぼくのドイツ人秘書が繰り返していたが、ルネサンスの頃から変わらないこんな村が貧しいというのは、地上のどこが豊かなのだというのだろう。(Rochefort-en-Terre)

ただ、みな重い過去を背負っている。
第一次世界大戦ではブルターニュも24万人の死者を出したという。
(Locronan)
ブルターニュ。
ブルトン人の地。
ブリテン=イギリスのニオイが濃いわけです。
ウェールズ語に近いケルト語であるブルトン語は、19世紀に禁止され、70年代から復興運動が起きるものの、絶滅危惧種です。
住民の50%はフランス人であるとともにブルトン人であると認識していて、22.5%はフランス人というよりむしろブルトン人だと意識しているそうです。
「ブルターニュはソバしか取れない」
と昔ぼくのドイツ人秘書が繰り返していたが、ハム・チーズ・たまごのガレットをcomplete(完成)と呼ぶのは、もうその上が地上にないことを知っているからではないのか。(Vannes)
「クセがスゴいな」と千鳥・ノブのセリフが飛び出した子羊。
戦後、日本は進駐軍に「こんなもの食ってるヤツらとよく戦争したな」と思ったが、こんなもの食ってるヤツらがなぜいつもドイツに敗けてたんだろうといま思う。(Vitre)
貧しかろうが寒かろうが通年カキを食えるんだから幸せである。
上に行けばイギリスで、左にうんと行けばアメリカである。
(Cancale)
こんなに食えねぇよ。
つうぐらいイワシもいるでよ。
(Quimper)
巡礼に先立ち、みんなで教会に入ります。
司祭が歌うように説きます。
パイプオルガンに合わせて、みんなで歌います。
静かな、美しい祭りです。
ここロクロナンは、ポランスキー「テス」のロケ地でもありました。
あぁ、ナスターシャ・キンスキー。
二十数年前、パリでスパイをしていたころ、フランステレコムの招待でブルターニュを訪れたことがある。
フランステレコムの誇る研究所CNETがパリやソフィア・アンティポリスなどと並んでレンヌに置かれており、当時最先端のマルチメディア技術を見に来たのだった。
(Rennes)
日本では通信・放送融合の議論が始まったばかり。
フランスは放送の電波をフランステレコムが有するハード・ソフト分離で、放送技術もフランステレコムが開発。
CNETはNTT・KDD・NHKの研究所が合体したようなもので、欧州の標準化もリードする存在だった。
(Dinan)
インターネット前夜、ミニテルというAVネットワーク・サービスを普及させていたフランステレコムの戦略を盗むのは、スパイとしてやりがいがあった。
フランステレコムはパリから軍用機(!)を飛ばして招待し、見せてくれたのだった。
(Vannes)
ネット時代が過ぎ、スマート時代も過ぎ、AI/IoT時代に入る。
フランスは再びアメリカに対抗して、AI強者を目指す模様だ。
日本の戦略はいかに。
この地で改めて思う。
(Fougères)
ロクロナンの聖ロナンさんは、背中の痛みを取ってくれる聖人だそうです。
身近な聖人さん。ぼくの五十肩も治してください。
ごめんな祭 byビュッフェ @カンペール美術館。
さて、ブルゴーニュを横切って、帰りました。

編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2018年2月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。